八栗張り子
種類:紙張り子
制作地:香川県高松市牟礼町(旧 木田郡牟礼町牟礼) 後に高松市上福岡に転居
現制作者:廃絶
| 漆原馬須雄 | 1899−1978 | 明治32年−昭和53年 | ||
| 漆原千代 | 1905− | 明治38年− | 馬須雄の妻 | |
漆原馬須雄は旧東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科で学び、昭和8年に卒業しており、東京で彫塑・彫刻作家として活躍していた。東京に在住して日展や文展などに作品を出展して、知事賞なども受賞していた。作品のいくつかは出品目録の画像で見ることができる。しかし戦争が激しくなったころ、ふるさとの高松に帰ってきた。戦後も彫刻や彫塑の制作を続け昭和36年まで出展の記録が確認できる。やがて彫塑の技術を使い、地元の土産品の張り子の制作を始めた。いつから制作を始めたのかは正確にはわからないが香川年鑑昭和36年版には展覧会への出展記録がある。翌年の昭和37年度版にはケーブル駅の近くの店舗で「密かにだるまを販売している」との報告がある。昭和39年版には干支のウサギの面を作った記録が残る。したがって張り子の制作は1961〜62年あたりに始まった可能性が高い。この張り子や面は八栗山麓の八栗ケーブル駅の近くで制作していた。現在、高松市歴史資料館に所蔵されている八栗張り子作品を見ると張り子面が多い。張り子人形はだるまと招き猫だけである。どのような張り子を張っていたか全体像は不明な点が多い。
漆原馬須雄は1978年(昭和53年)に亡くなったが、妻の漆原千代によってその後も制作された。高齢となったため高松市内へ転居して制作を続けた。しかし千代が没し八栗張り子は廃絶した。
| 香川年鑑昭和37年度版より |
| 郷土玩具 八栗寺のある山ろく、旧八栗ケーブル登山駅あとあたりには、参道の両側に、店やが並んでいる。 漆原馬須雄老人の店も、八栗歓喜天参道の右だわにある。 さいきん、漆原老は、八栗さん縁起のおきあがりだるまを、自分の店さきで、ひっそり売っている。ぎょうぎょうしく、ならべてない。うっかり通ると、気がつかないですぎてしまうのであろう。だから、お参りの人でも知らないものがある。ましてや、八栗参りに縁のない人たちには、みとめられない起きあがりである。 店にはいって、よくみると、ハリコ面のテングや、お多福の面(めん)だけでなく、木彫の工芸面もある。彫刻の小品もならんでいる。歓喜天の像なども目についた。 ”ハハア、彫刻をする人だなア”と、わたくしは感づいた。 店の中へはいって、すぐ右手のへやで、テングの木彫りの面を作っている老人がいた。頭に茶いろの毛糸のおワン帽をかぶり、うつむいて仕事をしている老人に、わたくしは声をかけた。主人の漆原老(六十三歳)だった。 わたくしが話しかけると、身の上ばなしをきかしてくれた。 老人は、ひさしく東京に住んで、彫塑かんけいの仕事をしていた。戦争がきびしくなると、引き揚げて帰った。わかいころ東京に出て、何十年ぶりか目にか、ふるさとの土をふんだ。 老人は、八栗寺参りのミヤゲを思いたち、八栗縁起のおきあがりを創作した。もともと彫塑かんけいの仕事をしてきた人だから、まったく、自分のクフウで、ダルマ作りを考えだした。 ひさしく東京にいたからダルマも関東地方の正月縁起のダルマ(深大寺などのダルマ市でうるもの)の”目なし”を作っている。お願いがとおれば、目をいれるものである。四国にはぜったい無いダルマである。 ふう変わりな形で、円錐形の細長い高さ一四・五センチのひょろながいカッコウのもの、胴の部分のデザインは、五剣山を象徴化した一筆描きで、八栗みやげをあらわしている。 赤い地色にスミで四剣山を、一筆のあっさりとした描き方、それに金泥を添えている。ケバケバシクないところがよい。 八栗ダルマは、ローカル色があり、作者の純真うぶな、商魂を超越したひかえめのムードがうれしい。 新鮮な感じがするし、いかめしいダルマでなく、むしろやさしい、安らかな起き上がりである。 (児童文化財研究家 加藤増夫氏) |
| ※表記に関しては年鑑の表記をそのまま転記 |
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| 左手上げ | 硬貨を入れる穴は後開けか? |
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張り子作品であるが 土人形と見間違えるほどのリアルなつくりである ※ネット上からかなり前に収集した画像です。 連絡をいただければ 正式に掲載許可を申請いたします。 |
| 左足底に八栗の文字 | |
| 高さ226mm×横123mm×奥行133mm (高松市歴史資料館のデータより) 収蔵品データベースにはだるまの画像はあるが招き猫はない 下の招き猫尽くしは高さ27cmとあるので高松市歴史資料館のものより大きい。 だるまと招き猫以外に資料館には 「天狗面」「はんにゃ面」「翁面」「たぬき面」「おに面」など57点が収蔵されている 高松市歴史資料館収蔵品「八栗張り子」一覧 右手上げの黒猫 手作りの前垂れを付けるが、前垂れはどちらも千代作かもしれない。 |
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| 招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司)より 漆原千代作 上の黒猫より優しい感じがする |
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| 参考資料 | ||
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特徴的な八栗のだるま 「よねず」とは達磨のことである いろいろな張り子面も張った 高松市歴史資料館の許可を得て掲載 画像入手先を失念していたが、 高松市石の民俗資料館で平成26年9月に開催された 企画展「八栗だるま作家『漆原馬須雄・漆原千代』を偲ぶ」 であったと思われる ウサギの張り子面は昭和38年に制作した干支の面と 同じであるかは確認できていない |
| 八栗よねず | ウサギの張り子面 |
企画展「八栗だるま作家『漆原馬須雄・漆原千代』を偲ぶ〜牟礼の遍路道を訪ねて〜
残念ながら当時の企画展のページは残っていませんが、高松市石の民俗資料館のFacebookは残っています
四国へは郷土玩具の猫を探して1990年代に2回ほど行っている。まだカーナビがない時代だったのでなかなか目的地にはたどり着けなかった。この八栗張り子もその一つですでに漆原馬須雄さんは亡くなり漆原千代さんも市内中心部に転居しており、張り子を販売していたという「十河神具店」には行きつかなかった。他にも目的地があったので途中であきらめたのは今になっては悔やまれる。
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
全国郷土玩具ガイド4(畑野栄三、1993 婦女界出版社)
中・四国おもちゃ風土記(津田一男、1977 中国新聞社)
四国のおもちゃ(加藤増夫、1977 四国新聞社)
県展史:香川県美術展覧会昭和9年〜昭和60年(香川県文化会館、1985 香川県教育委員会)
東京美術学校一覧昭和8至9年(東京美術学校、1933 東京美術学校)
香川年鑑昭和35年版〜39年版(四国新聞社、1959〜1963 四国新聞社)
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