下川原土人形 

下川原土人形・・・下川原焼き(したかわらやき)
 種類:土人形
 制作地:青森県弘前市桔梗野
 現制作者:高谷智二(7代目)
        阿保正志(1967−  )2001年から桔梗野で「下川原焼鳩笛絵付教室」を開いていた高谷清治に師事し制作を始める。


     
初代 高谷金藏       −1872      −明治5年
二代 高谷金松       −1899年      −明治32年
三代 高谷清六       −1918年      −大正7年
四代 高谷徳太郎       −1967年      −昭和42年
五代 高谷充治 1919年−1999年 大正8年−平成11年
六代 谷信夫 1952年−2016年 昭和27年−平成28年 
七代 高谷智二  
       




 初代高谷金藏は若いときに筑前で陶芸を学び、青森に帰って窯を開き、降雪期の生業とした。文化7年(1810)津軽藩主の津軽寧親が藩の産業振興のため、金蔵を下川原に呼び寄せ陶器作りを奨励した。その後、金松(2代目)、清六(3代目)、徳太郎(4代目)と続き、1999年3月に亡くなられた充治(5代目)の後を継いで信夫(6代目)が制作を続けていたがその信夫も2016年5月に亡くなった。現在は弟の高谷智二が7代目を継いでいる。
 下川原土人形は鳩笛が有名で大型のものも制作されていた。それ以外の土人形は比較的小型の作品が多く、人形笛になっているものも多い。それ以外に首人形や泥面子なども制作していた。
 型はかなり古いものも残っており、徳太郎の時代に創られたものも多いという。また近年になって充治や信夫の代になっても新しい型が生まれている。
 紫、黄色、緑、水色など独特の色づかいがある。
 現在は桔梗野で「下川原焼鳩笛絵付教室」を開いていた窯元の高谷清治に師事した阿保正志も制作をおこなっている。


 招いていない伏見系に似た通常の座り猫は比較的古い文献(たとえば日本郷土玩具 東の部)などにも多く見られる。これは近年の作品群の中には見かけない。現在も制作されている鯛抱き猫も古くからある型のようである。
 川崎巨泉「人形洞文庫データベース」上には次の2点の記録がある。
      座り猫     猫ジャ踊

 「猫ジャ踊」は明治時代に流行った端唄「おっちょこちょい節」の「猫ぢゃ猫ぢゃとおっしゃいますが、猫が杖ついて絞りの浴衣で来るものか」を元にしているものと思われる。ぜひ型があれば復活してもらいたいおもしろいものである。
 小林光一郎の『「踊り歌う猫の話」に歌が組み込まれた背景』によれば弘前にもこの猫ジャ踊の伝承があるという。
        

現在招き猫はこの4種類ある


座り親子招き猫  
座り猫の上に招き仔猫 下川原の典型的な彩色
豪華な前垂れ 親子共に左手挙げ
高さ101mm×横96mm×奥行51mm
招き猫の中ではいちばん大きい
親猫の後ろ足がなんとも愛らしいポーズをとっている
親子共に左手挙げ
紅い首たまに豪華な前垂れ
黒の斑に水色の縁取り
土笛にはなっておらず、底まで胡粉が塗ってある  


親子招き猫  
親子招き猫 左手挙げ 仔猫2匹も左手挙げ
   
高さ76mm×横40mm×奥行43mm
親子招きで人形笛になっている
親と白い仔猫は左手挙げ、
黒ぶちの子猫は両手上げになっている
緑の首たまに赤い前垂れ
緑の紐のついた赤い前垂れ


招き猫  
斑なしの白猫 左手挙げ
 緑の紐のついた豪華前垂れ 尻尾の部分が吹き口になっている
 高さ75mm×横35mm×奥行40mm
いちばんオーソドックスなタイプの招き猫
これも人形笛になっている
斑はなく白猫
底は塗っていない  


座り招き猫  
親子招き猫と同様に後ろ足がこちらを向いている 黒い斑に水色の縁取り 尻尾も同彩色
緑の紐のついた赤い前垂れに黄色の鈴 吹き口
 高さ47mm×横55mm×奥行43mm
八橋土人形にもあるような横座りタイプの招き猫
これも人形笛になっている
左手上げの斑猫


底は塗っていない

 岐阜のNさんが下川原土人形の窯元を訪問した際の画像に気になる猫が写っていた。親子招きの後ろに隠れてしまっているが座り猫で招いていない。しかも耳は黒で彩色されている。このような横座り猫は把握していなかった。招き猫十八番さんの「招き猫115の2」にはサイズ違いの横座り招き猫が掲載されているがこれより大きい。座り親子招き猫の派生タイプだろうか?詳細が気になる。

鯛抱き猫  
立ち上がって鯛を抱き上げる 黒い斑に紫の縁取り 
黄色い部分に乗っているが、何だろうか? 招いているようにも見える右手
高さ61mm×横40mm×奥行35mm

昔からある型
紅い鯛を抱き上げている
このタイプの鯛抱きは  など種類が多い
猫が何かに乗っているように見えるが
何に乗っているかは不明
赤い紐に緑の前垂れ
底は塗っていない  



座り猫  
香箱座り 斑なしの白猫 
緑の紐に赤い前垂れ 吹き口
 高さ22mm×横35mm×奥行36mm

小型の座り猫タイプの土笛
斑なしの白猫
緑の紐に赤い前垂れ
底は塗っていない  


鯛くわえ猫  
大きな鯛を口に咥えて 前足で鯛を押さえている
後ろ足は前の方にあり力が入っている 吹き口
高さ21mm×横36mm×奥行52mm

黒斑の猫
斑には縁取りなし
大きな鯛を咥えて前足で押さえている
底は塗っていない  



 招き猫の裏に書かれた購入日付をみると1993年5月1日とあります。この日弘前市の5代目高谷充治(じゅうじ)さんの工房を訪ねました。高谷充治さんは大正8年(1919)生まれで訪ねた当時は70代半ばでした。「見学させてください」というと「どうぞ」の一言だけで型や型抜きが終わって彩色を待つ土人形でいっぱいの作業場で黙々と制作を続けていました。まさに物静かな職人さんの典型的な方でした。「招き猫の在庫はありますか」と尋ねると、「今ここにはないが青森市で息子が展示即売をやっている」とのことでした。息子さんが充治さんといっしょに制作のかたわら、展示会などをやっているようです。その後、充治さんとは再会することなく、平成11年(1999)3月23日に79歳で亡くなられました。充治さんが亡くなられた後は青森で展示即売をされていた六代目の信夫さんが後を継ぎ、以前と変わらない姿で下川原焼きは作られ続けており、下川原土人形は安泰のようです。  =^・^=


高谷信夫
  鳩笛(はとぶえ)などで知られ、弘前市に藩政時代から伝わる「下川原焼」の6代目窯元・高谷信夫(たかや・のぶお)さんが2016年5月4日午後9時33分、胃がんのため国立病院機構弘前病院で死去した。64歳。
 高谷さんは25歳から下川原焼土人形作りに打ち込み、2002年には県伝統工芸士に認定された。高谷さんが手掛ける優しい表情の作品は、広く人気を集めた。
                         2016年5月7日 陸奥新報 より編集

 なお、現在七代目となっているのは弟の高谷智二(ともじ)さん。

                        (画像は2003年の中野ひな市において)

                                                         2018年4月12日 加筆
                                                         2021年5月19日加筆修正



     RAB青森放送 鳩笛に土人形「弘前の伝統工芸・下川原焼」(動画) (高谷智二)
     RAB青森放送 鳩笛に土人形「弘前の伝統工芸・下川原焼」(動画) (高谷智二) 上と同じ

     人形の鯉徳 下川原焼き(阿保正志) 




参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
高谷徳太郎翁の思い出 緑の豆本第十三集(緑の豆本の会、1958 弘前・緑の豆本の会)
郷土玩具 職人ばなし(坂本一也 、1997 婦女界出版社)
日本の郷土玩具 東北(坂本一也・他、1962 美術出版社)