いちろんさんのでっころぼう    
                         (清水の首人形)

いちろんさん首人形
 種類:土人形
 制作地:静岡県静岡市入江 (旧清水市 2003年静岡市と合体合併)
 現制作者:堀尾市郎右衛門 (現在は都合によりだるま以外は制作されていない模様)  
 
 

       
初代 堀尾市郎右衛門       −1901        −明治34年
二代 堀尾平吉    
三代 堀尾久吉    
四代 堀尾伊之助       −1955        −昭和30年
五代 堀尾耕太郎 1925− 大正14年−
六代 堀尾嘉之 1954− 昭和29年− 
       

 ※初代堀尾市郎右衛門以来、「堀尾市郎右衛門」を通称としている。代に関しては諸説あり、購入当時のしおりには7代目となっている。堀尾耕太郎は5代目のようである。


 創始はこの地に伝わる伝説が元になっているという。源為朝がこの地から伊豆大島に流される際に預けられた神社に出発の時に愛用の笠を寄進した。この笠は夜泣きする子どもにかぶせると治るという風習が生まれ、神社の祭礼の時には参拝者で賑わった。
 その後、初代堀尾市郎右衛門が粘土で作った首人形を月見里(やまなし)笠森稲荷神社に奉納したそれがいつしか為朝の笠に代わり虚弱な子や夜泣きの子のまじないとして使われるようになった。奉納してある首人形1本を借りて祈願し、治るとそれに1本加えてお礼参りしたという。
 首人形はこの地方では「でっころぼう」と呼ばれ、制作者の名前を付けて「いちろんさんのでっころぼう」と呼ばれるようになった。ちなみに「でっころぼう」とはこの地方で土偶坊(でぐのぼう)のなまりである。屋号の「いちろんさん」は初代市郎右衛門からくる。
 一方で初代市郎右衛門は張り子作りも得意で特に張り子の虎は江戸の時代から評判となっていた。
 現在使われている多くの型は三代目久吉の代に作られたという。
 静岡は太平洋戦争中空襲にあっているが、型はすべて疎開したため無事であった。首人形は型抜きした後、乾燥させて焼かずに彩色する。大小あるが小は種類も多く50種ほどあるという。串天神は戦後に元々あった天神に堀尾耕太郎が串に刺して串天神としたものであるという。
 いちろんさんでは張り子の制作もおこなっている。達磨、寅、祝い鯛、面、人形など20数種類あるという。
 「いちろんさん」では2代目が菓子処を営み、現在は青果業を営んでいるがこれは4代目からで、その傍ら人形制作をおこなっていた。 

首人形の猫
黒と赤のシンプルな彩色
耳の中、鼻、口は赤で描かれる 白猫に黒の模様が入る
首人形全体

首人形(串人形)の種類は多数あるが
よく紹介されているのは武者、奴、天神、鬼、
天狗、烏天狗、お多福、狐、猫、猿、河童、達磨などで
なぜ猫が作られているのかは不明である

高さ28mm×横20mm×奥行19mm
串を含めて120mm
しおり(PDFファイル)へ

 首人形は色違いを除きすべてそれぞれに2枚の木型がある。剥離用の粉を振った後、粘土を詰めて型を合わせる。型抜きをした後、串を刺して乾燥させ焼くことはしない。完全に乾いた後、彩色して完成する。

藁つとに挿された首人形    

首人形揃い(左)
藁つとに挿されている
数の少ないものもある

掲載許可を取っていないので
ご連絡いただければ申請いたします


いちろんさん首人形(右)
郷土玩具図説第五巻
鈴木常雄(1988)より






   ホトカミ 酔芙蓉さんの訪問記の投稿が詳しい 月見里稲荷への2022年の訪問なので最近の稲荷に奉納されている首人形の様子がわかる






参考文献
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「新版首人形」(鈴木常雄、1960 私家版)
郷土玩具図説第五巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
民俗信仰の玩具(萬造寺龍、1938 書物展望社)
日本郷土玩具事典(西沢笛畝、1964 岩崎美術社)
日本発見第29号郷土玩具(暁教育図書、1981 暁教育図書)
日本の郷土玩具東日本編(薗部澄・阪本一也、1972 毎日新聞社)
日本の郷土玩具・中部(阪本一也・山田徳兵衛、1962 美術出版社)