浜松張り子   

浜松張り子
 種類:張り子
 制作地:静岡県浜松市
 現制作者:鈴木伸江

初代 三輪永保(1848〜1923)
二代 三輪永智(1873〜1955)
三代 二橋志乃(1890〜1973)
四代 二橋加代子(1931〜2017)
五代 鈴木伸江(     〜   )

  編集中(さらにそれぞれ5方向の画像を追加予定) 2021年5月8日 加筆修正

 日本郷土玩具(武井武雄 1930)によれば浜松張り子の老舗に「かすみや」があり、日清戦争当時、店主の織田利三郎が初めて浜松に酉の市を開いたときに亀戸張り子を基にした吊るしものの張り子をつくった。「かすみや」は後に転業して張り子づくりは止めた。現在の浜松張り子の創始である三輪永保は子の三輪永智を「かすみや」に弟子入りさせて本職の張り子職人にしたとある。
 現在の浜松張り子は幕臣三輪喜三次の長男として嘉永元年(1848)江戸で生まれた三輪永保(やすひさ)の創始に始まる。明治維新とともに浜松へ移り住み、江戸で覚えた張り子づくりを官職の片手間に始め、地元の玩具雑貨商や玩具店などにおろしていた。1896年(明治29年)官職を退いた後、長男の永智と共に一家で張り子づくりに専念した。
 永智は13歳で地元の援助者でもある玩具雑貨商に入店し、張り子製作の技術を本格的に受けて、父永保と共に浜松張り子を完成させた。この玩具雑貨商が前述の「かすみや」であると思われる。1923年(大正12年)初代永保と地元の援助者が亡くなった後も永智により張り子づくりは続けられた。
 昭和20年浜松大空襲によりすべてが焼け、終戦後も永智は張り子づくりを断念し、浜松張り子も廃絶に危機に立たされた。しかし永保の子で永智の妹にあたる三代目志乃の奔走と地元の協力により浜松張り子は復興した。志乃は1902年(明治35年)から父永保より直伝で張り子づくりを習い、手伝っていたが、その後結婚により制作からは遠ざかっていた。志乃は再興後新しい型もおこし、女性ならではの作風で作品を作った。1959年には浜松市の無形文化財に指定された。昭和48年志乃の病歿で再び廃絶の危機にたたされたが、二橋家へ嫁いできた四代目加代子に受け継がれ、さらに新しい型も増え、制作が続けられた。
 二橋加世子は2017年(平成29年11月)に死去したが、四代目加代子の子、鈴木伸江が五代目を継ぎ制作が続けている。


     横70mm×奥行69mm×高さ114mm     
     
目元には紅、目のまわりや手足の
輪郭部にうすい紅
右手上げの白猫のみ

二橋加代子の銘入りに比べて
輪郭部の紅が薄いのは経年変化か?
輪郭線の紅が薄いのは退色か?    
銘はない
ボサボサにしたような筆で描かれた
黒い斑点模様が特徴
中古で他に二橋志乃の作品が
出品されていたので
同じ作者による作品の可能性がある
   尻尾はなし  

 あらためて撮影したが撮影条件によって色合いが変わるので過去の画像も入れ替えずに参考のために残した。

 上の画像と表情が異なって見えるが撮影位置の影響であり同じ個体である 
うすい赤の縁取り  
 横70mm×奥行69mm×高さ114mm
銘はない  


 上の写真は裏に銘はないが、一緒に出た作品から先代の二橋志乃作の可能性がある。下の写真は銘があり二橋加代子作のものである。
見分けはつけにくいが、上の作では黒の斑点のぼかしは筆によるものでいわばクレヨンによるぼかしと似たような雰囲気になっている。
しかし下の作品では薄墨によるぼかしでいわば水彩のぼかしと似たような雰囲気に仕上がっている。
 よく見ると顔つきも異なるが、はたして作者の違いによるものなのか、個体差なのかははっきりしない。
 浜松張り子の招き猫はこの型一点のみである。

横65mm×奥行70mm×高さ113mm
(計測値は測定個所による誤差の範囲)

  目元には紅、目のまわりや手足の輪郭部に  
うすい紅
右手上げの白猫のみ
  二橋加代の銘入り  

 こちらもあらためて撮影したが撮影条件によって色合いが変わるので過去の画像も入れ替えずに参考のために残した。

  
 1990年代二橋加代子60代の作品     左とは別個体 
 
  黒い斑点はくっきりしている     
 横70mm×奥行70mm×高さ113mm

二橋加代さんの招き猫は
底を見ると串のような棒に刺して
底の胡粉がけを思われる。
乾燥後に棒を抜いたと思われる。
それに対して上の無銘の招き猫は
棒を抜いてから
底の胡粉がけをおこなったために
穴の縁の部分まで胡粉に覆われている。
  横70mm×奥行70mm×高さ113mm

上の個体は五代目に引き継がれるころの
四代目二橋加代子の作と思われる。
。 
裏に銘が入る      




 浜松張り子の招き猫はよく女性作者による色っぽい招き猫と言われています。特に目元に紅を入れた人形は全国にいくつかありますが、招き猫では比較的少ない。色街の女性を連想させるところが色っぽい招き猫と言われる所以である。招き猫はいつから制作されているのかは不明であるが、下の浜松市広報課が制作した映像では志乃さんの作業場に招き猫の型が見られます。戦後復活されたときに作られ始めたのかもしれません。
 浜松張り子には柿乗り猿や動物に車の付いた車ものなど面白いものがたくさんあります。ぜひこの技術がさらに六代目に引き継がれていってもらえればと思います。


   「張り子のおばあさん」(浜松市広報課製作) 1960年代の二橋志乃さんの貴重な制作風景 (内容から1963年の制作か?)
   伝統通信 浜松張り子(リンク切れのため右のPDFファイルからご覧下さい)  (伝統通信 浜松張り子PDFファイル


参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)