中野人形
種類:土人形
制作地:長野県中野市
現制作者:奈良久雄(5代目)
奈良由起夫(6代目)
※中野には系統の異なる2種類の土人形が存在する。三河系の西原家で製作する立ヶ花人形と伏見系の奈良家で製作する中野人形である。両者を合わせて『中野土人形(中野土びな』と呼ぶようなので呼称もそれに準じることとする。
信州中野では伏見系の奈良家と三河系の西原家が土人形を制作している。
人形作り奈良家の初代栄吉は奈良家に養子として入った。季節になると京都へ中野の特産物や福寿草を行商していた。あるとき伏見人形に目を奪われ人形作りを思い立った。栄吉は伏見人形の型と同時に職人夫婦も連れて帰り、土人形づくりを始めた。2代目豊吉は人形制作だけでなく商いも盛んにおこなっていた。3代目五三郎は事業に失敗して行商のかたわら冬期に人形を制作していた。4代目政治は紺屋をしていたがケガで仕事ができなくなり家の中でできる人形制作に専念した。なお、戦時中の物資統制により昭和17年あるいは18年(1942or43)に人形制作が中断された。戦後、政治によって昭和32年あるいは33年(1957or58)に制作が再開された。しかし政治が昭和34年(1959)に若くして亡くなった。政治の短い制作期間の中で5代目久雄は母親のいしを助けながら人形制作を学んでいった。郷土玩具の会の会誌紹介されることによって全国的に知られるようになってきた。久雄は地元の光学会社勤務のかたわら、いしとともに人形制作をおこなっていたが、昭和50年(1975)に会社を退職して土人形づくり専業となり現在に至っている。久雄の子、由起夫も他業に携わっていたが、退職して土人形づくり専業となり6代目を継いだ。現在は親子でそれぞれに制作を続けている。ここでは主に奈良久雄の作品を中心に扱い、6代目奈良由紀夫の作品は別に取り上げることにした。
備考 | ||||
奈良栄吉 | 初代 | 文化3年ー明治3年 | 1806-1971 | 旧姓岡部栄吉 |
奈良豊吉 | 二代目 | 天保3年-大正5年 | 1833-1916 | 栄吉の長男 |
奈良五三郎 | 三代目 | 文久3年-昭和12年 | 1863-1937 | 豊吉の次男 |
奈良政治 | 四代目 | 明治38年-昭和34年 | 1905-1959 | 五三郎の末っ子 |
いし | 政治の妻 | 明治41年- | 1908-? | |
奈良久雄 | 五代目 | 昭和7年- | 1932- | 政治の長男 |
奈良由起夫 | 六代目 | 昭和40年- | 1970- | 久雄の次男 |
猫の土人形に関していえば、かつて奈良家で制作されていた猫は飾り猫と仔猫だけであり、招き猫はなかった。小布施の「中野土びな館」には奈良家の古作の猫が展示されている。小型の招き猫も展示してあるがはたして奈良家の招き猫かは不明である。飾り猫も何種類か展示されているが明らかに奈良家と思われる作品もあるが、かなり彩色が異色の猫も含まれている。飾り猫の型はすでに失われているとのことで現在制作されているものは後に型抜きで覆刻された型で制作されているようである。
その後1980年代になり、奈良久雄により貯金玉から型抜きされた招き猫が新作として加わった。それ以降、猫子守り(「ねこもり」あるいは「ねこのこもり」)や座布団座り招き猫、猫つぐらなど新作が次々と作られた。基本は最初の招き猫を元に制作したもの(座布団座り、扇持ちなど)や子猫を元にしたもの(小判乗り、猫つぐらなど)が多かった。また大型の三河系招き猫の型が持ち込まれたこともあり、奈良家流にアレンジされて三河系だったとは思えない招き猫に仕上がった作品もある。
仔猫や小型の招き猫は中野人形に変化を加えるのに最適でいろいろな作品に組み込まれている。
現在では招き猫はすっかり中野人形の定番となっている。奈良久雄さんにより陶製の貯金玉から型抜きされた招き猫は中野の土人形(小古井嘉幸 1994年)によれば「今年から加わった」とあり、古作中野土人形(1989)によれば1983年の新作ということである。したがってすでに40年以上の歴史がある。当初は白猫(三毛)単独だったがやがて子猫が加わったり、座布団が付いたりといろいろなバリエーションへと発展していく。
また2003年には岐阜のNさんが持ち込んだ大型の三河系の型(某有名制作者の型といわれている)から大型の招き猫が少数つくられたが型が破損し、高齢となった現在は制作されていないが、奈良由起夫のもとで一回り小さい大猫が制作されている。
また招き猫まつりなどに出品するため飾り猫の招き猫版(以前奈良さんに「飾り猫の招き猫はできませんかね」とうかがったところ「簡単にできる」と話していた)や猫つぐらの猫が招き猫になったりと猫の招き猫化が進んでいる。今になると初期のシンプルな単独招き猫や招いていない猫つぐらなどは貴重品となってしまった。さらに奈良由起夫さんにより従来の猫に加え、新作の招き猫や猫も次々と誕生している。
奈良家の猫も時代の変化やニーズに合わせてどんどん変化しているのである。
形や彩色の違いで分類していくと膨大な種類となってしまうのでここでは奈良家(奈良久雄)の代表的な型の猫を紹介することにした。
飾り猫
本来は招いていない座り猫で古くから制作されている。
飾り猫の招き猫 | |
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本来この大きい座り猫は「飾り猫」と呼ばれ招いていない おそらく招き猫まつり向けに招き猫化したのであろう 首の豪華な首玉や飾りの柄は制作時によって変わってくる かなり前に「招き猫になりますか?」と伺うと 「簡単にできるよ」と返答があった おそらく伊勢の招き猫まつりに向けて 招き猫化したものと思われる 高さ183mm×横205mm×奥行116mm |
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招いていないオリジナルの飾り猫(2004年中野ひな市) |
オリジナルの飾り猫(2004年中野ひな市) |
仔猫
この作品もも古くから制作されている人形で本体は招いていない。
仔猫の招き猫 | |
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本来は「仔猫」あるいは「猫(小)」と呼ばれ招いていない これも飾り猫同様に招き猫へのアレンジ 単独の猫のこともあれば、 通称卵焼きと呼ばれる帯封で束ねた小判の上に座ったり、 小判1枚の上に座ったものなど いろいろなバリエーションがある 黒猫や白猫の仔猫も存在する 高さ60mm×横73mm×奥行41mm 上の画像 猫のみのサイズ |
招いていないオリジナルの仔猫 | |
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白の仔猫 尻尾だけは伏見系の虎柄になっている |
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右手挙げが基本だが、まれに左手挙げもある |
招き猫
銀行の貯金玉から型取りした1983年に登場した作品。比較的早い段階で仔猫が付き親子猫となった。元の銀行の貯金玉とは異なり、貯金玉にはなっていない。
残念ながら初期の斑の単独招き猫は所有していない。この白猫は比較的最近のものだがこれが斑になったのが最初に登場した奈良家の招き猫。
山口(水原)人形の招き猫で触れたが、山口人形の招き猫はこの猫と類似している。同じ銀行の貯金玉から型抜きしたのかもしれない。
招き猫単体 | |||
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赤い首玉に金の福鈴をつけるシンプルな白猫であるが 尻尾はしっかりと虎柄になっている このタイプは左手上げのみのはずだったが 少数右手上げが存在する(下) 高138mm×横81mm×奥行73mm |
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右手上げの招き猫 左手上げに比べると顔が平面的 扇持ちなどで使用されている招き猫とは別の型 あまり見かけない 高さ140mm×横84mm×奥行70mm |
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仔猫がついた親子招き猫。
比較的早い時期に親子招き猫になった。可愛いので人気になり単独よりこちらが制作の中心になっていく。初期は斑が「大入」の文字にはなっていなかったようである。
親子招き猫 仔猫付き | |
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左手挙げ 黒に薄墨の縁取りで、「大入」の文字になっている 赤い首玉に金の鈴 短い尻尾はがしっかりと虎柄になっている 仔猫は右手挙げ、左手挙げ、両手挙げがある 高さ137mm×横77mm×奥行82mm |
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中野ひな市の特別展で展示された 個人蔵の親子招き猫 初期の作品とみられる 初期の単独の招き猫は ほぼこの猫に近い彩色となっている 基本的な彩色は現在のものとだいたい同じだが 斑が大入りになっていない |
初期の親子招き猫 「信州中野 奈良家の土人形」(1994)より |
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親子招き猫
座布団に座る親子の招き猫で1989年から制作が始まった。
座布団座り親子招き猫 | |
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基本的なつくりは親子招き猫と同じ 座布団のサイズや彩色に いろいろなバリエーションがある 初期は座布団のフサが糸だったが、後に水引となった 高さ175mm×横108mm×奥行108mm ※横と奥行きは座布団のサイズ |
扇持ち招き猫
この招き猫は上の貯金玉から抜いた猫とは形状が異なる。首の上あたり頭の脇から手が出ているので当初は違和感を感じたが最近は慣れてしまった。かつてはよく絵付け教室で見かけた型である。後に扇持ち招き猫で使用されるようになった。
扇持ち招き猫 | |
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扇持ち招き猫はいろいろなタイプがある 毛柄は基本的な白黒をはじめ黒猫、白猫もある 画像の猫は三毛である また扇の柄も招き猫や猫助のダブル招福が多い 口は「阿」と「吽」の2種類がある 安定のためか台座が取り付けられている 高さ188mm×横80mm×奥行58mm(扇込み猫本体) 台座 Φ102mm |
扇持ち黒招き猫 高さ208mm×横109mm×奥行63mm(扇込み猫本体) 台座 Φ90mm 高さの違いは扇の大きさによるところが大きい |
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この招き猫は2000年の中野ひな市の 絵付け体験で制作した私の作品である 正確には顔のみ奈良久雄さんに 描いていただいたので 自称ハイブリッド招き猫と呼んで、 以前紹介したこともあった 絵付け体験の招き猫として 当時盛んに利用されていたタイプである 奈良さんの作品として 扇なしの単独作品として 制作頒布されたかは不明である 特徴は右手上げで手が肩の部分からでなく 顔の脇から出ていることである 当初は何となく違和感を感じたが、 扇を持たせるには手の位置が高いので ちょうどよいのかもしれない 高さ135mm×横75mm×奥行65mm |
参考資料 |
子守猫の貯金玉
1989年から制作開始された人気のある作品。この作品は原型が貯金玉があったのかは不明。着物や半纏の柄にいろいろなタイプがある。
子守猫 | |
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親猫は福枡を持って招いていないが、 仔猫は右手で招いている 貯金玉になっている ねんねこ半纏や着物の柄に いろいろなバリエーションがある 高さ108mm×横88mm×奥行88mm |
猫つぐら
1989年から制作された。
初期はつぐらの中に小猫が2匹座っていた。後に中の猫は招き猫になり最近はその方が多くなった。もともと「つぐら」は稚児を寝かせておく篭だが、同じ材料で猫小屋としたもの。新潟・長野付近の雪国で製作されているが地域によって「猫つぐら」や「猫ちぐら」と呼び方が変わる。
猫つぐら | |
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手びねりに近い作品なので猫つぐらの大きさは 制作した時期によりいろいろな大きさがある 招き猫猫つぐら(上) 高さ93mm×横108mm×奥行103mm 高さは紐を含まず オリジナル猫つぐら(下) 高さ96mm×横107mm×奥行109mm 高さは紐を含まず |
下 オリジナル猫つぐら(非招きタイプ) | |
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招いていない猫が2匹座っている | 黒斑の猫の尻尾は虎柄 |
巾着招き
正式名やいつ頃から制作が始まったのかは不明。2006年のひな市で町内の金長食堂で初めて見た。その後、市内の何軒かの商店店頭でも見かけた。巾着のタイプはいろいろと変化している。
三河系大招き猫
平成15年(2003)の中野ひな市に岐阜のNさんによって大型の招き猫の型が持ち込まれた。
これは名古屋の某有名作家の元にあった型だそうで、それを元にして制作された奈良家でも最も大きな招き猫。本来は三河系の大猫であったが奈良久雄さんによって見事に中野仕様アレンジされた。
最初に制作されたときいっしょに制作依頼したが胡粉塗りが終わった作品がテレビの横にあったという情報は得ていたがその後どうなったかは不明で20年以上経って未だに手元には届いていない。オリジナルの型は返却したので、型取りしたものを元にしてその後制作を続けたので初期のものに比べて一回り小型となった。
最初にできたものはシンプルで何もついていなかったと依頼したNさんから聞いた。その後縁起物や中野の産物などいろいろなオプションがついて豪華な大猫になっていった。しかし型も破損し、奈良久雄さん自身も高齢になったため大猫は制作されなくなった。代わりに中猫がつくられるようになった。奈良由起夫さんの工房では大型の招き猫(これより小さめ)も制作されるようになった。
関連ページ 三河系大型招き猫の型(ねこれくと内)
奈良家の大猫たち | |||
①わが家に10年以上生息する大型招き猫 伊勢エビはおそらく縁起と共に伊勢にちなむものと思われる 頭には縁起物が乗る ②日本土人形資料館の猫 頭に乗るのは中野市の特産物 ③初期に地元のコレクターの愛猫を元にした猫 おそらく初期の作品はこのようなものだったと思われる |
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①伊勢エビは取り外せるのでふだんは別保管している | |||
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②日本土人形資料館展示品 | ③ひな市特別展展示品(個人所有) | ||
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④これも初期タイプと思われる 首玉にたくさんの鈴がついている まだ頭には何もも乗っていない ⑤独立リーグ信濃グランセローズの応援招き猫 ⑥頭に一本木公園のバラを乗せる大招き猫 ⑦前垂れに紅白の牡丹柄、頭には縁起物が乗る ⑧底がついた大猫も出品されたことがある 破損防止も兼ねているのだろうか? |
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④ひな市特別展展示品(個人所有) | |||
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⑤日本土人形資料館展示品 | ⑥ひな市出品の大猫 | ||
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⑦招き猫まつり出品の大猫 | ⑧招き猫まつり出品の底付き大猫 | ||
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このあたりが奈良家(奈良久雄)の制作する猫の代表的なもの。これ以外にも色違い、柄違いなどいろいろなバリエーションがある。これは伊勢の招き猫まつりに出品したことも種類や柄違いが増えたことの要因ではないかと思われる。
古作の飾り猫 | |
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中野ひな市の展示で見かけた個人所有の飾り猫 現在の作品に近い作風 |
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裏面の彩色はない 右の招き猫は西原家の古作 |
小布施の「中野土びな館」展示品 | |||
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※小布施の「中野土びな館」には立ヶ花土人形で紹介した立ヶ花人形の失われた古作も展示されている |
奈良家の土人形 | |||||||||||
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どちらも2015年(平成27年)の中野ひな市に出品された作品 彩色はほとんど変わらない 年賀切手は写真ではなく、図案として描き起こしているのでどちらの作品を元にしているかは不明である 奈良由起夫の作ということも聞いたが定かではない 彩色の様子から見ると奈良由起夫作に近い どちらにしろ奈良家の作品として扱うのが適当と思われる |
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ねこれくと内「中野人形 六代目奈良由起夫」へ
関連サイト
奈良由起夫インスタグラム
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
中野の土人形 改訂版(小古井嘉幸 1994年 日本土人形資料館)初版1983
古作中野土人形(中野土人形写真集刊行委員会、1989 中野土人形写真集刊行会)
信州中野奈良家の土人形(中野土人形愛好会、1994 中野土人形愛好会)
中野土びな物語(高橋達男、1990 北信ローカル社出版センター)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)