WEB日記ねこれくと

2011年 4月
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4月30日(土)
4月が過ぎ去っていく
 実家に泊まったついでに、今シーズン最後の花粉症の薬をもらいに医者に行く。連休の半ばだからか、開院直後だからかやけに混んでいる。処方箋だけなのですぐに発行してもらう。
        
 途中のこの道よく白バイが一時停止違反をねらっているんだよな。

 とりあえず家に戻りメロ君の朝食作り。
 今年もハゴロモジャスミンが甘い香りを放っている。実家の方は伸びすぎた茎を切りすぎたので花が少ない。
 
 目立たないがカロライナジャスミンも咲いている。
 

 池袋まで出かける。久しぶりにミヤマ商会をのぞく。ニコンのミクロンが12000円で出ていた。ローライ35Bのドイツ製が18000円で出ている。見せてもらうとボディに当たりはなくよい状態。しかしレンズに拭きキズがあったのでパス。このカメラはよくぶつけてへこますのでなかなかボディの状態のいいものは少ない。惜しかった。
 ビックカメラに顕微鏡の照明装置整備のためのジャンク用コンパスを買いに行く。
 
 分解後洗浄液を使った大胆なクリーニングの結果、カビもほとんど落ちわずかなカビ跡を残しきれいになった。

 多摩張り子の会田さんに連絡を入れる。5月3日に干支招き猫を取りにうかがうことにする。

 それにしても今月はよく携帯電話を使った。こんなに使ったのは初めてだ。貯まっていた繰り越し料金をすべて使い果たしてしまった。料金リセット。
          
 三連休も明日一日となってしまった。
 
 慌ただしかった今年の4月だが今日で終わりだ。
    

4月29日(金)
昭和の日
 今年は肥料が効いたのか庭のツツジも花をよくつけている。今日は少し前までみどり日だった。
         
 さすがに平成も23年となると昭和は遠くになってきた。昭和で考えると太平洋戦争後のまだ社会が復興しているあたりの年代になってしまうのだ。
 
 昨年買ったムベもだんだん這い上がってきた。この先アケビ棚をどうするか考えなくてはならない。メロ君の主治医?のアニホスではネットに絡まらせていたが確かにそのような手も考えられる。狭い場所に植えているだけに思案のしどころだ。
       


 夕方、近所の瑞法寺にご本尊を受け取りに行く。住職から説明を受ける。

 今日は実家に泊まりに行く。
  

4月28日(木)
第二課歓送迎会開かれる
 朝は雲に覆われていたが、出勤時間になると少しずつ雲がとれて青空が広がり始めた。
 
今日は午後休暇を取り後始末に銀行に行くつもりであったが、緊急事態発生のため取りやめ。仕事をする。

 今日の夜は第二課の歓迎会であったが、緊急事態のため始まり時刻が遅くなってしまった。

 池袋からのバスが終わっているので、電車で帰宅。明日からささやかな連休だ。
     

4月27日(水)
国道254号
 朝出勤の時、バス停近くで川越街道の距離プレートと基準点があるのを見つけた。普段急ぎ足で通過しているとなかなか目にとまらないものだ。
            
 川越街道の距離プレートは7.074kmとある。さてどこからなのだろうか。調べてみると何と文京区の本郷三丁目交差点が基点となっていた。それでは終点はというと長野県松本市であった。通称川越街道ではあるが実際には国道254号は松本にまでいたる全長200km以上に及ぶ長い国道なのであった。
 
     
 ロザリオスのCDをネットオークションで落札する。EL-NIKKORの105mmが安く出ていたのでこちらも即決で落札してしまった。1個持っているが、こちらは「Nippon Kogaku」の旧表示。何だかこだわってしまう。
 

              



4月26日(火)
懐かしソング、そういえばあった
 コカコーラCNソング集届く。正式タイトルは「CocaーCola Commercial Songs 1962-89」。ジェネオン エンターテイメントという会社から出ている。聴いていると「あった、あった」。「もうこんなに前なのか」など昔に返ってしまう。いちばん新しいもので1989年なのですでに20年以上前になってしまうのだ。こうなると続編の一枚もほしくなる。
 

 本日は実家で泊まり。
      

4月25日(月)
S型ニコンの照明装置届く
 一週間の始まり。今週末からゴールデンウィークに入る。もっともカレンダーどおりの休みしか取れないので細切れの休みになってしまう。
           
 日没もかなり遅くなってきた。今日は早く帰れた。自宅についてもまだ陽が残っていた。

 ネットオークションで落札したニコンの落射照明装置が到着した。少しカビがあるがこれはクリーニングすればきれいになりそう。あとは切れている電球の入手が問題だ。
 
 この画像の品以外に電源のトランスフォーマーなどが付属する。
    

4月24日(日)
選挙に行く
 ちょっとのんびりする。統一地方選後半。
 
 区議会は人数があまりにも多いのでピンと来ない。
            
 近所を散歩する。八重桜がきれいに咲いて満開となっている。
 
 ビルが取り壊されマンション建設の準備が進められている。地図を見るとここはSIHビルとなっている。1973年の建設だったようだ。以前病院が入っていたはずだ。もっとも引っ越してきたころはもう閉院(あるいは移転)していたような気がする。

 わが家のアセビも終わりを迎えている。替わってツツジが咲き始めている。
 
 オオムラサキも咲き始めた。
 
 さわやかな晴れ。バタバタしているうちにまわりはすっかり緑におおわれてしまった。ムベも伸びてきたので伸び先を確保してあげなくてはならない。


 最近メロ君はすっかり猫毛布に慣れて自分の寝床としている。
    

4月23日(土)
猫除け階段の謎
 本日朝から雨。天気が悪い。

 雨も上がりかけてきたので、実家の近くの日産商事にケーキの材料を買いに出かける。
 途中のアパートで階段に猫除けペットボトルと猫除けトゲトゲが置いてあるのを発見。住人はどうやって上に上がるのだろうか?もしかしてだれも住んでいないのか?
          
 日彰商事で四つ葉牛乳の常務用無塩バター2ポンドとドライフルーツ、そして全粒粉のクラッカーを買い込む。見ていると結構おもしろい食材を扱っている。

 また新たな預金通帳が出てきた。遺産相互区同意書で確認は取れているので問題はない。クレジットカード類も年会費がかかるものは退会手続きをしなければならない。まだまだやることはありそうだ。
 やること表を見ていると、確定申告(準確定申告と言うらしい)もしなければならない。

 実家で夕食。

 最近忙しくて新聞を見ていない。箱に貯まった新聞がメロ君の遊び場になってしまった。
 
 ネットオークションで顕微鏡黒ニコンの落射装置を落札する。電球切れということだが通電しているということで、光学系に問題がなければ、これで金属顕微鏡になるはず。↓こんなやつですね。
             
 
 ついで?に「コカコーラのCM全集」CDも落札してしまった。
                    
   


4月22日(金)
歓送迎会開かれる

 年度初めは忙しい。
 本日赤羽で職場の歓送迎会。ちょっと懐かしい顔がそろった。仕事が終わらずなかなか来られない人がいたので、店に頼んで少し延長してもらう。
 帰りにラーメンを食べて替える。

 赤羽からバス一本で帰る予定だったが終バスに乗り損なう。楽して帰れるはずだったが、電車を乗り継いで帰宅することになってしまった。
 夜半になり強い雨が降り出す。寒冷前線が近づいているようだ。
      

4月21日(木)
会議長引く
 朝早く実家を出て、メロ君にエサをやり、自分の朝食をとり出勤する。

 本来なら昨日開かれる会議が全員出張のため本日開かれる。年度初めなので長引く。
 雨が上がる予報だったので持ってきたカサを乾かして置き傘にするはずだったが帰りになってもまだ雨が上がらない。結局傘はまた持ち帰り。
 天気がすっきりせず涼しいのでまたコーディロイシャツですごす。

 本日は実家で泊まり。

 元キャンディーズの田中好子が死去した。まさに同世代である。当時特にファンであったわけではないが、後に大量にLPを入手した際にキャンディーズのLPがあったかどうかは記憶に定かでない。シングルCDは練習用に1枚買った記憶がある。今の世代の人たちには女優としての印象の方が強いだろう。しかし年齢を考えると年月の流れの速さを感じずにはいられない。 合掌
 
      

4月20日(水)
午後から出張
 出張前に郵便局に行き、戸籍謄本の郵送申請の書類を送る。窓口の対応の不手際で送料を多く払ってしまった。切手を剥がせれば返金するというが一度貼るとなかなか剥がせないんだよね。ついでに口座の後始末用の書類を請求する申込用紙をもらう。銀行に比べゆうちょ銀行は3回本人が銀行まで出向かなければならないようだ。センター処理とはいえ、ひじょうに効率が悪い。送金の口座番号が異なり不便であるのと同様もっとサービスを考えられないものか。
 これを申し込めばとりあえず銀行関係の書類は片が付くはずだ。

 実家で夕食。そのまま泊まる。
     

4月19日(火)




4月18日(月)






4月17日(日)
敷金受け取る
 天気晴れ。昨日よりは気温が低くさわやかだ。

 職場に葬儀の際の御礼のお菓子を運び込む。どうもまだ新しい警備システムには慣れない。

 不動産屋に駐車場の敷金を受け取りに行く。臨時収入。元々自分の金とはいえ何だかうれしい。4年間お世話になりました。

 遺言状があるのではないかと考えているがどこにあるかわからない。はたして存在するのかもわからない。手続きを今後の手続きをスムースに進めるため遺産相続協議書を作成していたがやっと完成する。

 本日も実家で泊まり。


4月16日(土)
ハナズオウ咲く
 今日は暑い。夏日になる予報。
 出発が遅くなったため、メロ君朝食ではなく昼食になってしまう。

 昨年買ったハナズオウが満開になった。カエデも気がつかないうちに緑の葉でいっぱいになった。
         
 ツツジも満開、オオムラサキもつぼみの先が割れて開花寸前になっていた。
 
 ムベも隣との境のネットまで伸びてきた。
               
 追加分の返礼品と職場へのお礼のお菓子をデパートに買いに行く。

 ご本尊を取りにうかがう日の相談で瑞法寺に電話を入れるがご住職不在。

 本日も実家で泊まり。
        

4月15日(金)
誕生日
 午後から休暇をとり、後始末。

 今日も暑い。

 本来なら今日、父親は82歳の誕生日を迎えているはずだった。

 本日も実家で泊まり。
       

4月14日(木)
桜そろそろ終わり
 今日は20℃を超え暖かかった。
 駐車場前の西徳第一公園の桜も盛りを過ぎた。
 
 実家からメロ君にエサをやりに行き、そのまま出勤。

今日も実家で泊まり。
        

4月13日(水)
実家と自宅を往復
 朝6時前に実家を出発。いったん帰宅してメロ君と自分の朝食準備。
 本日実家の泊まり。まだしばらくは実家と自宅を往復する日々が続きそうだ。
   

4月12日(火)
仕事始め?
 本格的に仕事開始。年度スタートでつまずいたため、どうもペースに乗りきれない。

 今日は実家で泊まる。
      

4月11日(月)
石神井川沿い金沢橋の桜を愛でる
 休暇をとり、とりあえず後始末最終日。土日を2回も挟んでしまったため、10日間までとれる慶弔休暇も実質的にかなり少なくなってしまった。

 石神井川沿いの金沢橋にサクラの偵察に行く。風があるので花吹雪が舞っている。
 
 桜の木は変わらないのに、今年はいつもと違う花見になってしまった。まして震災で板橋区内の花見大会も自粛ですべて中止になってしまった。普段なら公園周辺に提灯が吊されるのだが今年はそれもなし。そのかわり落ち着いた花見にはなっている。
 
 先日購入したステレオカメラで撮影する。デジタルカメラと違い現像から戻ってこないと結果が見えないのはもどかしいが、そのゆったり感はまた銀塩写真ならでは。ゆっくり待とう。もっともまだフィルムを全部撮り切っていない!
         
 来年はもっとゆっくり花を見に来よう。
      

4月10日(日)
仏壇を買う
 統一選挙前半戦。都知事選に行く。何となく結果が見えているような選挙だ。
 
 いつもの入り口に行くと立て替え工事のためしまっている。
 
 しばらくはプレハブの仮校舎住まい。夏は暑いだろうな。紅白幕は掲示物隠しも兼ねている。

 いつものご近所猫二匹。
 
 そしていつものごとく道の真ん中へ

 その視線の先には・・・・  自由なフーちゃんでした。
             


 天気もよく実家のベランダから見事な桜が見えている。毎年見られるこの桜を今年は見ることができなかったんだな。
                         

 午後から仏壇を買いに行く。浄土真宗では金仏壇なのだそうだ。まず相場というものがわからない。そこで展示の多そうな某有名仏具店お仏壇の○○○わに偵察に行く。街の仏具屋に比べれば数はあるが思ったほど多くない。価格はそれこそまちまち。でもよさそうなものは結構なお値段。これに仏具が入った見積もりを見るとかなり予算オーバーになりそう。材質的にもちょっと考えてしまう。
 もう一軒午前中自宅まで営業に来た川口にある仏壇店を見に行く。こちらは国内に自社工場を持っており、あまりCMなどに経費をかけていないので価格には自信がありますとのことだった。あきらかに先に行った有名仏具店を意識しているようだ。
 
 出発が遅かったので、もう少し陽が傾きかけたころ到着。店内には確かにこちらの方が展示が多くある。価格もこちらの方が値頃感がある。それにも増して材質は無垢材を用いており裏表に木目が通っている。デザインもすっきりしている。自社製なので部分的なつくりの変更も可能だという。
                  
 最初に見たものはサイズ的にオーバーではみ出す。。次に見た2つはサイズも価格も手ごろ。結局母親の好みで決定。そのほかに仏具も真鍮無垢に変更し、裏も金で格子をはずすなど注文を受け入れてくれた。最終的にはセミオーダーのようになってしまった。

 手続きをしていると別の客が入ってきて「先日見たものは・・・」尋ねていた。残念ながらすでに売り切れ。先のお仏壇のは○○○にしろ、この店にしろ大きな仏具店では仏壇は在庫しているものを売っていくというのが基本のようだ。
 これで四十九日に仏壇は間に合うこととなった。

 今日は実家で泊まる。
     

4月9日(土)
土曜出勤
 本日慶弔休暇の中休みで出勤。なにぶん土日は役所関係が休みのため書類関係の後始末が止まってしまう。

 夜になり住職のところに先日の御礼にうかがうと同時に仏壇の事を相談に行く。宗派によっていろいろとあるようだが浄土真宗では基本的には位牌はないらしい。その他最低限必要な仏具の話しを聞く。なるほど。

 本日の夕食は昨日と同じで近所のファミレスになってしまった。
                     
 「ねこれくと」アクセス60000超える。
     

4月8日(金)
後始末2日目
 弟がいったん仕事で帰宅したので、その間に母親と区役所に行って必要書類を集める。
 年金事務所に行ったり、法務局へ行ったりと慌ただしい。年金事務所は朝方がすいていて、月曜は混むのだそうだ。結構多くの書類が必要なようだ。
   

4月7日(木)
後始末初日
 とりあえず葬儀が一段落した。これから後始末が始まる。まずはいろいろと書類を集めなくてはならない。銀行関係や口座引き落としなど便利な分だけ引き継ぐときは手続きが増える。電話で連絡を取り付けていく。
             
 携帯電話に発信履歴が残っている。3月11日大震災のあと気を使って自宅に電話してきたのが最後の通話だ。パイプをはずして公衆電話の置いてある所まで行ってかけたのだそうだ。もちろんその後も電話をかけることはできたのだろうけどベットから離れるのが大変になったようだ。
 

4月6日(水)
告別式
 本日は告別式。
 朝食を受け取りに行き、みんなで朝食。朝から作品鑑賞会。余裕がある。
       
 だんだん時刻が迫ってくるとみんな着替えを始め、式の準備が始まる。

 参列者がやってきて作品を見てくれている。
 
 こちらのねらいどおり、作品展示はうまくいったようだ。
                        
 
 告別式には平日の午前中にもかかわらず多くの参列者に見送られ最後のお別れをした。やはり昨日今日と趣味の会の方々が多かったのだろう。
 真宗では三途の川の渡り賃はいらないらしいが、とりあえず六文と小づかいに、筆や将棋の駒などをもって出発となった。
          
 エレベーターで降りてきた棺は霊柩車にみんなで乗せるがほんのわずかの距離。まさに儀式として残しているだけの様相だ。これも都会的だ。

 落合火葬場は始めて行く。東京の火葬場としてはいちばん最後に立て替えられたのでひじょうに新しい。建物に入るとホテルかデパートのオープンスペースのようなところで遺骨を拾っている。何だかすごく開放的で火葬場のイメージが根底から覆された感覚だ。通されたのは炉が二つ並んだ特別室。こちらはもう少しプライベートな感じがするがそれでも火葬場のイメージとはほど遠い。炉の扉もデパートのエレベーターを行った感じだ。

 お骨と白木の位牌をもってホールに戻る。精進落としで親族が集う。そして解散。遠い所ありがとうございました。

 みんなが帰っていったあと陽は傾き始めている。
 開館の脇にある本堂前の桜の古木は満開だ。『桜が咲いたら思い出してくれよ』という父親の最後の心憎いメッセージだったのだろう。
 
 
           
 桜の古木をあとにして、青空の下、また自宅に帰るのであった。
      

4月5日(火)
お通夜
 朝からきれいに晴れわたっている。近所の桜も満開だ。
 
 自宅でゆっくりしすぎてしまった父親もいよいよ自宅を出発。そして式場へ。
 
 午前中から展示会の作品や品物を会場に搬入。遠くからやって来る親族の持てなし用品や手土産を買いに西武デパートに走る。翌日の朝食の手配に近所を散策。すぐ近くの弁当屋に注文を入れる。もう30年になるそうだ。この近辺につとめていたころすでにあったはずなのだが覚えていない。

 会場に作品を展示する。あとでわかったのだが前に会場を使う方がいなかったのでゆっくり準備が進められたのだ。ここで大失敗。展示をする予定で選んでおいた色紙を持ってくるのを忘れてしまった。さいわい小物の色紙等はあったので机上はそれでごまかす。
 
 これまた自作の灯りを点灯するといい雰囲気になる。

 まだ喪主が到着していないのに親族第一号が車で到着。
 
 徐々に親族が到着。
 いよいよ式が始まる。導師入場で読経。途中で先日の地震の余震でゆれるがそのまま続行。丁寧な読経で御通夜と続けて初七日の法要。最近は繰り上げで初七日を済ますことが多いようだが、ゆっくりした日程で準備してきたので本当の初七日になってしまった。
 今夜は思った以上に参列者が多かった。職場には家族葬に近い形でと言ってあったのでそれほど参列者はいないだろうし親族も遠いので少ないと見積もっていたのだが、やはり趣味の会の方々が多く参列されたようだ。ありがたい。

 今日は比較的暖かかったので助かった。
 親族で会館に泊まり一夜を過ごす。田舎なら棺の脇ということになるのだろうけれど、父親は三階、我々は二階。いかにも都会風だ。
 話しの中でみんなの話をつなげていくと父親のいろいろな過去が見えてくる。どうも小学校卒業のあと東京の学校に通っていたことは聞いていたが、どうも地元のスポンサー付きで東京にやって来たこともわかってきた。いろいろ謎の部分がありそうだ。
 とりあえず初日は何とかなった。明日も忙しそうだ。
     

4月4日(月)

 お通夜前日、でもゆったりした日程なのでなぜかのんびり。
 必要な現金を調達に銀行に行く。必要な経費を算出し仕分けをおこなう。

 ちょっとだけ出勤。

 午後から展示会の準備に取りかかる。額がひとつ足りないので池袋世界堂に額を買いに行く。
       

4月3日(日)

 湯灌の儀。初めてだ。最近は省略される場合も多いようだ。最後はなかなか風呂に入れなかったのでよかった。そしてみんなの見守る中で納棺。

 葬儀日程を関係者に連絡する。年齢の高いものが多いのでFAXのある家庭は意外に少ない。もう少ししたらメールによる連絡になっていくのかもしれない。とにかく伝言ゲームのように手間がかかる。



4月2日(土)
父親帰宅する
 病院までお迎えに。移送用の車(霊柩車なのかな?)で助手席に乗り込む。ほぼいつも車で通っていた道を通って、父親自宅に帰る。2月21日に最後の入院をして、自宅に帰る願いは叶わなかった。本人は最後まで帰るつもりでいたのにね。
 一階のリビングにやっと落ち着いた。

 とりあえず関係者に第一報。まずだれに連絡するかが一仕事。リスト作りから始めなければならない。

 葬儀の打ち合わせ。葬儀社の会館だと安くつくが場所が不便である。東武練馬駅前にもあるがここは外部の業者は入れない。いろいろと検討したあげく、利便性がひじょうによい南池袋にある沙羅ホールと決定。ここなら池袋駅からすぐでどこからでも来やすい。以前の勤務先の通勤途中にある。まさにあのシアターグリーンのとなりにある会館なのである。
 
 1月に南池袋の黒猫を見に行ったが、その際に撮影したのが上の画像である。まさかこんなところで使うことになるとは。大きな建物がシアターグリーン。その左側にあるのが沙羅ホールを運営する仙行寺(日蓮宗)で見事な花を咲かせた桜の木の一部が見える。あとで調べてわかったのだが、シアターグリーンも仙行寺が社会事業の一環として演劇活動の場を提供したのだそうだ。

 それはともかく打ち合わせでこれからのことを詰めていく。
 親戚もみんな遠く、高齢なのでゆっくりした日程にし、お通夜4月5日、告別式4月6日と決定。関係者への連絡は明日以降にする。
     

4月1日(金)
父親旅立つ
 新年度が始まった。よく晴れている。車を駐めてある駐車場に行く途中バイク猫を見かけた。バイク猫とは路上観察学会の林丈二氏のの分類だ。新年度初日は実家から朝早く帰宅し出勤する。
 
 本日通常勤務。今日から正式に移転した新しい職場で勤務。

 さて通常に勤務していたのだが・・・・

 夕方、父親が旅立った。 
 昨日会ったときは実家の近所であった火事の場所を特定するため町内地図を持ってきてくれと言っていたのに・・・・。もっとも夜は起き上がってはいたがかなり容体が悪そうだった。昼過ぎに病室の窓際のベットが開いていればそちらに移してほしいと電話をすると個室に移ったということだった。まだそれほど重篤な感じではなかった。たまたま病院に立ち寄った母親が少し動揺しているというので弟が病院に向かったようだ。その後何回か弟とも電話連絡をしたが切羽詰まった感じはなかった。意識は最後まであったのではないだろうかとのこと。
 そのような様子なのでこちらもタクシーで急いで行くという事もなかった。
 病院に着いたとき、すでに意識はなかった(と思われる)。それまで心臓マッサージをしたらしい。延命治療はおこなわないということを本人からも確認し、医者にも伝えてあったのでそこまで。しばらくして機器を取り外し臨終の確認に立ち会う。午後5時44分。とりあえず臨終に間に合ったということにしておこう。

         合掌

 悲しいけれど事前に予期できただけに「楽になったね」と何かホッとした感もある。不思議な感覚だ。あっという間に体温が下がっていく。着替えをしたあと父親を前にみんなで記録写真を撮り始める。亡くなってまだ1時間ほど。こんな家族はあまりないのでは。なぜか笑顔も。何を話して笑ったのか覚えていないが冗談を言える余裕もあった。
 何回となく見舞いや業務連絡に通ったこの11階の病室ともこれで行き来はなくなる。
               
 今日は霊安室でお別れ。

 しかしまだ終わらない。これからをどうするか。まず明日お迎えに行かなくてはならない。とりあえず実家に戻そう。霊園を買ったときの業者に連絡を取り、明日の移送を頼む。

    

 これから未知の領域、怒濤の葬儀体験が始まるのであった。