web日記ねこれくとHP版
2006年 6月
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6月30日(金)
初エアコン
 6月最後の日、ついに夜中にエアコンを入れてしまった。暑くて汗びっしょりになり寝苦しいのでタイマーをセットしてエアコンを入れてしまった。一度入れるともうやめられなくなってしまうので、頑張ったのだが力尽きた。これからはエアコン三昧の日々になりそうだ。とりあえず温度設定は27〜28℃でいきたい。

6月29日(木)
あれから5ヶ月
 今日、仕事で朗読の講演会を聞く。ラジオで放送劇などを聞いていると別に違和感はないが、あまり聞き慣れていない人にとっては新鮮に映っただろう。ただ今年いちばんの暑さの中で聞いたのでもう少し条件のいい時期に聞きたかった。
 ネコ君がいなくなって5ヶ月が過ぎてしまった。みんな通常の生活に戻ってきた。現在部屋の中の温度を測定して締め切った家の中でも飼えるかどうか検証をしている。二階三階はかなり室温が上がっても一階の書庫は27〜28℃あたりを保っている。次の猫を飼えるかどうかは真夏にどんな結果が出るかそれにかかっている。

6月28日(水)
TEPCOひかりに申し込む
 今日も蒸し暑い。東京も最高気温は30℃を越えた。それでも昨年に比べれば少しはましだろうか。
 ついにTEPCOひかりに申し込む。開通はいつになるかわからないが、開通月で長らく使用していた「http://members.jcom.home.ne.jp/ororo/index.html」はいよいよ閉鎖になる。現在の「http://www.nekorekuto.com/」一本になる予定。

6月25日(日)
ホットカーペットを片付ける

 やっとホットカーペットを片付けた。昨日なら天気がよかったので乾すには絶好の天気だったのだが。掛け布団もやっと冬物から夏物に替えた。もっとも最近は掛け布団の上に寝ているような状態なので、あまり関係がないといえば関係がない。
 庭のセンリョウ(千両)が白い花を付けていた。この千両は種から育ったものだ。ジュウリョウ(十両:ヤブコウジ)も白い小さな花を付けていた。これは引っ越した年に植えたものだがずいぶん増えた。どちらも来年はたくさん赤い実ができるだろうか。

6月24日(土)
目呂二旧宅付近を散策する
 
 河村目呂二は軽井沢に疎開し、そこで定住する前は東京の豊島区に住んでいた。当時の住所表示は豊島区千川1−16とある。古い地図を見てもほとんど道も変わっていない。ただ住居表示が少しずれている。古い地図を頼りに訪ねてみた。訪ねてみたと言っても歩いて10分程の距離なので散歩がてらである。
 近くには富士浅間神社がある。りっぱな富士山だ。柵で囲まれ登れないのが残念だ。かつて目呂二が住んでいたのは現在の千川一丁目バス停のあたりと思われる。このあたりはけっこう大きく、古い家がある。該当するブロックにもちょっと変わった造りの大きく歴史のありそうな家があった。まさか・・・。
 近所には琺瑯の戦前の住居表示とさらに古いもう一昔前の住居表示を今でも付けている家があった。長崎東町今はもうない住居表示だ。かつては豊島区長崎東で郵便物が目呂二氏宅に届いたようだ。当時はきっと今はなき水道タンクもよく見えたことだろう。

6月23日(金)
日本敗退
 少しずつ体調が戻ってきた。池袋の医者に行ったついでにデパ地下のパン屋に寄った。閉店1時間前は6個で630円になるのだという。かなりの人で賑わっている。便乗して買って帰る。
 もらった目呂二の資料をスキャナーにかけ、編集準備をする。

6月22日(木)
だるい
 体にだるさが残っている。どうもまだ体が暑さになれていない中で、連日30℃を越える陽射しの中にいたためらしい。何もやる気がおこらない。

6月21日(水)
出張から帰る

 梅雨のまっただ中であったが天気に恵まれた。しかし、とにかく3日間暑かった。19日琵琶湖畔で宿泊、20日高雄に宿泊しゲンジボタル狩り。昼間の気温は30〜31℃あたりだが、体に応える。清水坂で大型招き猫発見。
 郵便受けには目呂二関係の資料が届いていた。ありがたい。週末にゆっくり検討することにしよう。

6月18日(日)
明日から出張
 今日も一日雨ですっきりしない天気。明日から3日間出張で関西に行く。天気はよさそうだ。しかし、気温は30℃くらいに上がるという予報が出ている。天気がよければよいでまた大変そうだ。
 日本・クロアチア戦引き分け。

6月17日(土)
カメラケースを買う

 今日も蒸し暑い。今季初めて半袖を着る。
 久しぶりに神保町の本屋と秋葉原に行く。6月になって初めてだ。かつてはこんなことはなかったが、駐車の取り締まりが厳しくなってからすっかり足が遠のいてしまった。
 豊島区の戦前に地図(復刻版)を入手。目呂二が戦前に住んでいた場所を確認。我が家から1kmも離れていない。明日天気がよければ行ってみよう。
 先月買ったCOOLPIX S4の純正カメラケースを買う。バックの中でゴロゴロしていると傷だらけになってしまうのでちょっと高かったが奮発して購入。ぴったり収まった。
 夕方か近所のスーパーにカメラを持って買い物に行く。いたいたデブ君。撮影!帰りにもいる。またまた撮影!でもよく見るともう一匹のデブ君だった。さっきからいたような顔をして入れ替わるなんてなかなかやるな。

6月16日(金)
蒸し暑い
 湿度が高く空気が重い。健康のため片道2kmの病院まで歩いていく。夕方なのに汗びっしょりになる。帰りは2本程外れた道を歩いてみる。ふだんとはまた違う風景がおもしろい。知らないうちに空き地ができて売りに出されたり、しばらく見ないと変化が大きい。今度目呂二が戦前住んでいたあたりを散策してみよう。

6月15日(木)
梅雨本番?
 湿度が高めでいよいよ梅雨本番という様相になってきた。明日は低気圧の通過と前線の接近により荒れ模様の天気となりそうだ。
 同僚達は明日鎌倉方面に出張となるがあいにくのお天気となりそうだ。
 こちらは来週関西に出張となるが、天気はこの時期にしてはまずまずのようだが、気温は30℃近くになる予報が出ている。そろそろ半袖を出してこなくてはならない時期になってきた。

6月14日(水)
AEDの講習を受ける
 仕事柄必要になることもあるので、心肺蘇生およびAED(自動体外式除細動器)の扱いについて講習を受ける。今回で2回目でが、講習を受けても大部分の人は一生使う機会がないだろう。ほとんど使い機会がないとはいえ、万が一の時に使えると心強い。使用法自体はひじょうに簡単だが、やはりその場で冷静に対応できるかどうかが最大の鍵だ。
 
 帰りがけに職場の近くで猫2匹を撮影。近所のデブ君も八百屋さんの段ボール箱の中で寝ていた。通りがかりの人がかわるがわる触っていくので迷惑そうだった。

6月13日(火)
ヘリコプターがうるさい
 昨夜のワールドカップの後遺症で何だか職場も朝からけだるい雰囲気が漂っている。それも朝だけで、だんだんふだんの状態に戻ってきた。
 職場の上空をヘリコプターが何機も旋回していてうるさい。どうも何か事件のようだ。インターネットで調べると都電の追突事故だった。東京に残る都電も1本だけで大学時代は縁が遠い存在だった。最初の勤務先が都電の雑司ヶ谷駅近くでけっこう利用するようになった。次の異動先で先では縁がなくなったが、今の職場に異動した8年前からまた縁ができた。それにしても都電の追突事故というのは今まで記憶にない。骨折舎は出たが、死者が出なかったのは何よりだった。

6月11日(日)
家に閉じこもる
 先週リレーで転んだケガがだいぶ治ってきた。何とか肘をついて寝られるようになった。
 何と2日間ほとんど家から出ていない。ゴミを出しに行った程度だろうか。路上駐車の取り締まりが厳しくなった影響も大きい。体が鈍ってしまった。

6月8日(木)
フェリーのチケットを買い、銀ブラする
      
 今日は職場の創業記念日で仕事相手がいないので、有り余っている有給休暇を使って夏の北海道行きのフェリーチケットを銀座まで買いに行く。
 帰りがてら銀ブラ(表現が古いが)する。以前は週に1回は歩いていたのだが、最近はご無沙汰だ。まだ時間が早いので店も閉まっている。
 12月に見かけたネコ君の段ボールハウスを見て、数寄屋橋公園を散策することにした。
 まずは段ボールハウス。
 残念ながら段ボールハウスはなくなっていた。冬場ではないので必要がないのかも知れない。えさ箱と水入れはあったのでこのあたりで生活をしているようだ。
         
 数寄屋橋公園を歩く。公園といっても本当に狭い公園でかつての堀を埋め立てたあたりに沿って細い通路があるだけだ。しかしこれが銀座の真ん中らしくない雰囲気なのでかつて何回か歩いたことがある。公園沿いには歴史のある泰明小学校があるが何人くらい児童がいるのだろうか。
 植え込みの中にはビニール傘で雨よけをしたネコ君ハウスがいくつもある。別のところにも1軒あり中では乾いた新聞紙の上で猫が丸くなって寝ていた。地域猫として面倒を見ている人がいるのだろう。
    
 公園には異様な時計塔が建っている。一目で岡本太郎の作品とわかる。一目見てわかるという認知度はすごい。1966年制作の「若い時計台」というのだそうだ。できた当時は日劇を見上げていたのだろう。ここまで足を伸ばすことは少ないので、夜に見たという記憶はないがなかなかきれいなようだ。ちなみに堀が埋められたのは1959年ということだ。フランク永井の「有楽町で会いましょう」がヒットしたのが1957年なのでそのすぐ後になる。「有楽町そごう」(現在はビックカメラになっている場所)は1957年オープンで待ち合わせによく使われたのだという

 有楽町駅の中央口に回ってみる。しばらく来ないうちにかなり様子が変わっている。中央口とマリオンの間の建物がみんななくなって再開発をしている。
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向こう側で光っているのがマリオン。

←かつての面影を残しているのは右側の三角地帯だけとなってしまった。取り壊したところに何があったか思い出せないが、一つだけ立ち食いの焼きそば屋があったことを思い出した。
 ずいぶん開発されて変わった都心だが、まだまだ変化は続いているようだ。

6月7日(水)
ヤモリ君訪問する
             
 トイレには行ったら窓ガラスの外にヤモリ君がへばりついていた。今日職場でも見かけたばかりだ。我が家にもけっこういるようなのだが、最近は見かけていなかった。
 生き物は環境に敏感である。ちょっと居心地がよさそうだとすぐにやってくる。以前、幅30センチ足らずの裏の空間を耕して腐葉土や鹿沼土を入れて改良し、植物を植えたらすぐにジグモが巣を張った。どこからやってくるのか不思議だ。庭には毎年池もないのにヒキガエルがやってくる。そろそろツツジにはツツジグンバイがやってくる。これは歓迎したくない相手だ。カエル君が姿を現す前に消毒をしておかなくては。ゴキブリも活動前にホウ酸団子をまいておかなくては。我が家の生き物も季節と共に活動が活発になってきた。

6月5日(月)
デブ君横断歩道を渡る

 土曜出勤だったので今日は振り替え休業日だった。ビデオを修理して、1月から分類整理するため部屋の中に散乱していた土人形達を5ヶ月ぶりに片付け始めた。
 午後からハッピーロードというアーケードのある地元の大きな商店街に久しぶるに出かける。歩いて数分なのにご無沙汰だった。ちょっと遠回りして猫のいそうなところを歩く。「いたいた!」長毛の雑種である。これもご近所猫(幸町ネコ)のリストに入れておこう。
 アーケード街の近くにある大山福地蔵尊によっていく。何でも150年程前におふくさんという行者が来て街道筋の人々の難病苦業を癒して慕われたのだそうだ。それをまつったのがこの地蔵尊なのだそうだ。
 帰り際、ご近所猫のデブ君が横断歩道を渡っていた。世間は秋田の男児殺害の容疑者が逮捕されたり、インサイダー取引で村上代表が逮捕されたりばたばたしているのに、近所はいたって平和だった。

6月4日(日)
剪定をする
             
 伸び放題だった玄関の”カクレミノ”の剪定をする。すっきりした。以前鉢植えで持て余していた”コノテガシワ”をとなりの公園に勝手に植えてしまったが、順調に成長している。トイレの横に植えた1本はしっかりと雌花も付けていた。”トケイソウ”も公園のフェンスに絡まって元気に伸びている。大きなケヤキの木を借景に公園の一部はすっかり自分の庭化している

6月3日(土)
リレーに出てけがをする
 運動会のリレーに出た。抜かれそうになるのをブロックするため体を寄せた。相手の足と接触し、転倒してしまった。とっさに手は出たが右の手のひらと左に肘を擦りむいてしまった。マウスを握りにくい状態になってしまった。リンパはにじみ出てくるし、しばらく不便な生活になりそうだ。

6月1日(木)
衣替え
             
 6月になってしまった。職場には衣替えがないので適当に季節に併せて着替えている。
 しかし毎年時計は衣替えしている。暑いので夏時計に衣替えした。ふだん使っている革製のベルトだと夏は汗がしみこんでしまうので、暑い時期は金属製のベルトで防水性の高い時計にしている。
 同じ時計をしていても冬場になると腕にはめたとき緩くなってグルグル回ってしまう。たぶん冬場は寒いので手の筋肉も縮んでいるのと乾燥していて摩擦が小さくなるのではと考えたがどうであろうか。夏場に涼しい北海道でも同じような体験をしたことがあるのであながち見当はずれではないような気がする。