WEB日記ねこれくと
 
2006年 1月
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1月31日(火)
あれから2日

 猫くんがいなくなって2日たった。3日前はまだ柔らかな毛に包まれ、温かなからだであったのが嘘のようだ。1週間前の24日(火)から急速に様態が悪くなり自分で食べなくなったと2日後の26日に実家から聞いた。電話してきた時点で覚悟はできていたようだった。猫くんも頑張って週末まで持ちこたえてくれた。おかげでこちらも思い残すことなく27日・28日と毎日会いに行くことができた。
 やがて悲しみが思い出に変わっていくだろう。ペットロスで悲しまないことが猫くんへのせめてもの思いやりだ。私たちよりほんの少し先に旅だっただけなのだから。


1月30日(月)
続・お別れ2
           
           
 昨日、猫くんの葬儀をおこなってきた。板橋区の戸田斎場のとなり(と言っても同じ敷地内)にある立派な「ペット火葬板橋」だ。昨年できたらしい。葬儀の準備というものは大変だ。事前に準備をしているわけではないのでまずネット検索から始めた。半日がかりである。でもこの会場でやってよかったと思っている。
 猫くん(通称トム:母親はそう呼ぶ。私は『ネコ』だ)のお気に入りの首輪とシーツに、お気に入りの缶入りのペットフードの中身(少しだけ入れてあとは近所のネコにお裾分け)、カリカリ(ドライフード)、焼き海苔、シュークリーム(少し入れて、こちらは人間がお裾分け)の食事を持ち、ネコの草代わりによく食べていた庭の笹の葉、血統書のコピーと家族からのメッセージに三途の川用の六文銭(ネコに必要かはわからないが)を入れ、庭に咲いていた山茶花と菊に囲まれ、旅立っていった。
 最後の日はリビングでいっしょに寝て看病していた両親に安心してか、穏やかな顔であった。あまりにも穏やかすぎで、寝ているだけで今にも起きてきそうな様子だった。ふつうなら死んだ猫の写真は載せたくないが、寝ているようなあまりにも穏やかな姿なので添付画像として掲載してしまった。
 お世話になった主治医と17年前に買ってきたペットショップに死亡報告とお礼を書いた。これが自分の気持ちの整理にもつながるのだろう


1月29日(日)
お別れ2

      
              

 先週に続いて、またお別れがやってきた。
 飼っていた猫くん(現在は実家で)が、本日未明(おそらく朝5時頃)に死亡した。約17年前に富山県のペットショップで購入してきた猫だ。「幸せになるんだよ」と店長から見送られて東京にやってきて、春には17歳になるところだった。ぽっかり心に穴が開いたような状態になった。少し早いが今日の夜、偶然にも先週葬儀があったところで葬儀をおこなう。
 はたして猫にとってこの17年間は幸せだったかどうかは聞けないのでわからない。でも飼い主にとっては幸せな17年間だった。ちなみに私のID:fa0401 とは猫くんの正式な名前faと猫くんの誕生日4月1日生まれからくる。
 fa(通所トム)ありがとう。  (合掌)

 写真は8歳のころと昨日(1月28日)


1月23日(月)
お別れ

 今日、元同僚のお通夜に行ってきた。あまりにも早い死だ。自分と出会った人の数が多くなる程、お別れの数も多くなる。昨年あたりから訃報が多くなった。新年の挨拶にも遅れて何通か寒中見舞いが届いた。それを考えると自分もずいぶん年をとったと感じる。
 生きたいのに生きられなかった人、生きなければならなかったのにそれを拒否した人、世の中にはいろいろな人がいる。
 人の生と死を考えると今戸神社の市野恵子さんが随筆中に書いていたメッセージを思い出す。随筆依頼をされて届いた何冊かの冊子の中にあった自殺防止の記事に対してのメッセージだ。
 「死んだら損です!後悔します!」(略)そもそも人間は何故この世に生まれてきたか?「修行の為」です。だからイヤな事がたくさんあるのです。それを真正面から受け止めず、人生ゲームをしていると思えば気楽ではないですか?すごく疲れていれば、その時は、ただ生きていればいいのです。とにかく生きる、やがて寿命がきたら、生きたくても生きられません。(人事院月報 平成18年1月号)
 自分も人生の折り返し点をとっくに過ぎ、残りをどう生きるか考えてしまうことがある。しかし何があっても人生半ばで先に逝ってしまった知人達に対して、とにかく寿命が尽きるまで生きることが残された者の義務だろう。

 彼女にはもっと仕事をしてもらいたかった。生きてほしかった。彼女がいかに愛されていたか、多くの参列者が物語っていた。


1月22日(日)
神田雪だるまフェアに招き猫雪だるまを見に行く

           

 昨日、「新春お年玉展」を見に行く途中で、神保町の近くで招き猫と思われる雪だるまの後ろ姿を見かけました。そこで今日見に行くことにしました。
 これは第5回神田雪だるまフェアの参加作品の一つで、嬬恋村から30トンの雪を運んできて制作された35体のうちの1体なのだそうだ。
 法政大学の手話サークルが制作した作品と見られ、テーマは「手話で表すI love you」です。招き猫の右手に注目!


1月21日(土)
雪ふる。「新春お年玉展」を見に行く

 

 朝5時頃外を見るとうっすら雪が積もっていた。もう一度寝て起きるとかなり積もっていた。
 どうしよう。出かけるべきか?今戸神社に行ったとき案内状の葉書をもらった神職の市野智絵さんをはじめとする8人のグループ展「新春お年玉展」だ。ギャラリーで何を展示するのか聞くのを忘れたのだが、案内状の何とも魅力的な猫のおせちのイラスト(これは智絵さんではなく白浪のりこさんという方の作品らしい)からもどうも猫ものがかなりありそうな気配だ。明日はギャラリーは休みなので今日しか行くチャンスはない。チェーンを装着する程の雪ではないので日本橋の近くにあるギャラリーまで出かけることにした。
 今戸神社の市野智絵さんは似顔絵のポチ袋を展示していた。いわゆる「新春お年玉展」というコンセプトだけあって、あとはそれぞれの作者の縁起物がらみの作品を持ち寄るという企画のようだ。小堺一機のポチ袋が好きだな。社務所での待ち時間に制作したという手捻りの招き猫があった。手に入れ損なったので今度今戸神社で聞いてみよう(もちろん社務所には並んでいません)。


1月14日(土)
ネコのえんむすび
         
 「ネコのえんむすび」(市野恵子。市野智絵)を買ってきた。今戸神社の禰宜(神主)の奥様と娘さんの本だ。今戸の猫や絵馬の情報を知るには欠かせない本だ。明日はHPの更新に専念しよう。


1月10日(火)
雪残る

 もう仕事は始まっているが、実質的に今日が仕事始めになる。商売道具の声もよく出るし、まあまあ快調な仕事の滑り出しである。
 朝起きて外を見ると心配していた雪は積もっていない。しかしキッチンから窓を見るとやけに外が白い。のぞいてみると裏の保育園の園庭に雪が残っていた。しかもふだん日陰になる部分にだけ。地面の水分や温度で違いができるのだろう。残念ながら朝写真を撮っている時間はなかった。
 HPの今戸神社の件も途中まで編集が進んでいるが結局公開は週末になりそうだ。


1月8日(日)
またまた、今戸神社に取材に行く

 年末のDATに続き中古の業務用CDプレイヤーを手に入れてきた。今年はオーディオにちょっと懲りそうな年だ。
 午後から、今戸神社に取材に行ってきた。けっこう地元ボランティアによるツアー?で人でも多い。今回は宮司の奥様とお話ができ、名刺の交換もしてきた。これまでわからなかったことや疑問のいくつかが解決できた。明日の休みを利用して、HPの更新に取りかかる予定だ。前回見逃した、西方寺の道哲庵後も探しに行った。ほぼ場所はわかったが残念ながら、説明も何もなく昔を知る手がかりは得られなかった。
 写真は今戸神社


1月6日(金)
高崎だるま市・海雲寺へ行く

          
          
          

 今日も寒い。しかしそうも行っていられない。うちで温々していたら猫になってしまう。
 久しぶりに高崎のだるま市へ出かけた。5年ぶりくらいだろうか。やはり夜は雰囲気があるのでそれをねらって出かける。行ったついでなので安中の磯部温泉の近くにある海雲寺も見に行く。
 午後1時を過ぎてから家を出発する。ちょっと遅すぎたかな?海雲寺に着くころは暗くなり始めていた。曇っているのでなおさら薄暗くなるのは早い。ここには招福殿があり、招福観世音は世田谷の豪徳寺の分身で招き猫は観音様のおつかいとされている。詳細はHP「ねこれくと」を見てもらいたい。招福殿脇に納められた役目を果たし終えた招き猫やその型が痛々しい。1月18日には縁日があるそうでそこで型以外の招き猫はお焚き上げになるのだろう。
 そうこうしているうちにだんだん暗くなってくる。少林山達磨寺のだるま市にはよさそうな時間である。八幡小学校の臨時駐車場に車を入れるが1000円はちょっと高い。以前はもっと安かったと思うのだが・・・。まだ時間帯も早いので途中の道も大階段も空いていてまったく滞ることなく鐘楼までたどりつくことができた。ここでは自由に鐘をつける。お賽銭を入れ鐘を2回つく。そのあと本堂まで階段を上がりたどりつくとそこにはたくさんの縁起達磨を売る店があります。目標は招き猫を専門に扱う店です。本堂の裏手にあるその店を見学して寒いので下山となりました。帰るころにはまた人手が一段と増していました。


1月5日(木)
仕事をしてしまった

 寒い!大雪で閉鎖しているスキー場もあるということだ。寒いので出かける気にもなれない。今日は代休だったが、職場に冷やかしで行くことにした。しかし結局半日以上働くことになってしまった。その代わり明日が代休になった。
 明日の昼から明後日にかけて高崎のだるま市だ。寒そうだが天気も良さそうなので久しぶりに行ってみるとするか。行くならやはり暗くなってからに限る。ちょっと早めに行って海雲寺にも寄ってみるか。


1月4日(水)
今戸神社に行き、山谷堀を歩く

           
           

 正月早々風邪をひいてしまった。2日程家にいたので体がなまってしまう。そこでウォーミングアップも兼ねて出かけることにした。今日から仕事始めのはずだが、年末に休日出勤しているのでその振り替えなのだ。
 まずは先日初詣に行って気になっていた今戸神社の猫雛の絵馬を見に行く。何でも復活して欲しいという声で再登場したのだという。古い方のバージョンの撮影をしていたら新しい方を撮影し忘れてしまった。まだ初詣客がけっこういるので、もう一度ゆっくり宮司の奥さんに話しを聞きに来るとしよう。
 まだ時間も早いので今戸橋から山谷堀をたどってみることにした。予定外だったのでまったく資料を用意していない。どこまでたどれるか心配だが、とにかく行ってみることにした。「土手の道哲」も確認したいのだが、こちらは今度来ることにしよう。かつて(新)吉原通いで賑わった山谷堀は完全に暗渠になってしまっているが、ほとんどが山谷堀公園としてたどれる。ところが地方橋(じかたばし)から先は公園はとぎれてしまっている。しかしかつての堀沿いに道があるので何となく堀筋が見えてくる。最後の日本堤橋だけは確認できなかった。次の課題とすることにしよう。これは近々HP「ねこれくと」に掲載する予定。


1月1日(日)元旦
初詣に行く

      

 毎年恒例の浅草七福神巡りに除夜の鐘とともに行く。少し出発が遅れたので比較的すいていたのだが、鷲神社は鳥居の外まで人が並び、今まででいちばんの混み方だった。最後に回る浅草寺はまだ規制が解除されていなかったが、人手の割には流れがスムーズだった。
 毎年、今戸神社を振り出しに七福神(といっても9ヶ所の寺社がある)を巡る。最初の今戸神社では干支の今土焼きを買うのが定番行事となっている。今年はなぜか招き犬。
 今戸神社の猫雛絵馬も復活したようなのであらためて取材に行こうと思う。
 午後からは中央区の鉄砲州稲荷へ初詣となった。
 さて平成18年はどのような年になるのであろうか。