御前崎の猫塚

 『御前崎の猫塚』は資料性があるので「静岡に猫塚と佐山さんの個展を訪ねる」から独立させました。基本的には内容は同じですが追加の画像などはこちらにアップしていきます。

 静岡はいつも通過でなかなか立ち寄ることがない。しかしいざ行くとなるとけっこう距離がある。今回は佐山さんの個展が開催されるということで出かけていった。
 猫関係の郷土人形でいろいろと行きたいところがあったが、実はいちばん気になっていたのが御前崎の猫塚だ。
 実はかつて一度だけ行ったことがある。たぶん坊之谷の土人形を訪ねていったときなのでもう20年以上前のはずである。

 当時の画像は残っているのだがどこに仕舞いこんだか出てこない。出てきたらその時点で追加する予定だ。
 この御前崎の猫塚とは旅僧に化けた古鼠から命がけで住職を守ったという猫の忠義の話しである。その猫の墓が猫塚である。話自体は主人を妖怪のような存在から守るというよくあるパターンの話しである。ちなみにここには退治された古鼠の塚もある。

 場所は御前崎の灯台近くにある畑の中。最近は近所に住宅も増えているようだ。
                                                                   2018年7月16日

ナビにも猫塚は登録されている。
ナビの指示に従っていく。
見えた!路上駐車しかない。
以前来たときは
もっと畑の中だったような気がする。
年月とともに宅地化されたのか。
 見えた  ねこ塚まで50m  
 猫塚到着。
ちょっと車は駐めづらい。
草がかなり生えている。
あまり手入れはされていないようだ。
説明の掲示板は新しくなっている。
   周囲に畑は残っている しかし住宅も多い
猫塚と説明板   猫は小さい
ネコ缶とツナ缶が供えてあった  猫塚の文字はくっきり  
   猫塚の裏面には何か文字が刻まれている。
風化してしまいよく読めない。
「十二月六日」と隣の「會」は確認できる。
説明によれば昭和7年12月6日に
有志により建立されたものだ。
「會」の文字は建立した
有志の会の名称なのだろう。
何という会なのか気になる。
 
 裏面は風化してよく読めない    


 さてじっくりと猫塚見学しよう。

猫塚のいわれ
 かつて猫塚のあるあたりにあった遍照院(あるいは西林院)の住職が海上を船の板の上にすがって流される仔猫を見つけた。
住職はその仔猫を漁師に頼んで助けてもらい寺に連れて帰った。この仔猫も大きく育ち、住職のことばを聞き分けるほどになった。
ある春の日、旅僧がやって来て宿を求めた。それから3日後、隣の猫が寺の猫を伊勢参りを誘うが住職の身が気がかりで誘いを断った。
その夜本堂の天井裏で物音がした。調べて見ると衣をまとった大きな古鼠が倒れており、寺の猫と隣の猫が傷ついてたおれていた。
2匹の猫は身をもって住職を喰い殺そうとした旅僧に化けた古鼠から住職を守り息絶えた。
住職達は恩義に報いた2匹の猫を寺のわきに手厚く葬った。

猫塚に目印に松が植えられた。その松は鯖の尾のように二つに分かれ『鯖尾の松』と呼ばれて漁の目印にされた。
しかし明治時代の初めに台風で倒れてしまった。
その後、この伝説を後世に伝えるため昭和7年に有志により建立されたのがこの猫塚であるそうです。


 
 
 この猫塚のいわれについては、みなだいたい同じような内容になっています。昔とはいつ頃のことかもわかりません。
そのような中でネット上に興味ある情報を見つけました。「やじきた。com」の中にある『江戸時代版・猫の恩返し – 忠義な猫のお話 (1)』です。
管理人のコレクションから江戸の流行・文化・風習などの話題を取り上げたサイトです。その中にこの猫塚について紹介しています。

           やじきた.com

「閑窓瑣談」 教訓亭定高(為永春水)著/天保12(1841)という和本の一巻第七「猫の忠義」からの紹介です。
説明板もほぼこの内容に準じて紹介しているものと思われます。
 「閑窓瑣談」によれば、

  この本の話自体も伝聞(教訓亭定高(為永春水)の友人の伝庵が桂山で聞いたもの)で書き記されている。
  寺は和本の中の文や絵でも西林院となっている。
  猫の墓と鼠の墓は寺の境内にあった。
  古鼠から住職を守った寺の猫は息絶えており、隣の猫は虫の息であったが介抱のかいもなく息絶えている。
  古鼠はまだ息があったが棒でたたいてとどめをさされた。
  住職を救った2匹の猫は境内に墓を建て手厚く葬られた。
  古鼠もこのような化け物を放ってはおけないと慈悲の心から墓を建てた。
  二つの墓ともに古びてしまったが今も寺にある。
 
 江戸時代末期の本であるが、この時点で墓は年数を経ていることがうかがえる。
しかし古鼠が後で記す鼠塚の言い伝えの元となる古鼠が枕元に現れ、塚を建てて葬って欲しいと懇願した経緯はない。
和本の紹介内容は「猫の忠義」のなので鼠に関しては省略されたのか、それとも鼠は後付けなのか。
ねずみ塚の経緯については不明である。

 「閑窓瑣談」(かんそうさだん) 教訓亭定高(為永春水)著/天保12(1841)という和本が気になった。調べて見ると2~4万円程度で
購入できることがわかった。しかしこの話のためだけに購入するのは躊躇する。さらに調べると日本随筆大成のシリーズにあることがわかった。早速調べると昭和の初めの出版されている(旧版)が昭和50年に新版が出され、平成に入って新装版が出版されている。旧版でもそれほどの価格はしないが新版だとさらに安く入手できる。今回は110円+送料で入手。

     
 日本随筆大成    仔猫の顔がよくわからない
上は今回入手した
日本随筆大成第1期12巻
 (吉川弘文館 平成5)より

左は早稲田大学図書館所蔵
「閑窓瑣談」より

残念ながら日本随筆大成の方は
仔猫の顔がよくわからない。
原版ではヒゲまで
はっきり描写されている。
     ヒゲまでわかる





    猫塚の猫も
昭和7年生まれなので年末には86歳になる。

表面は地衣類(?)に被われ
白猫になってしまっている。
かつての画像と比べると
明らかに白い部分が増えている。
左耳はかつてとれてしまい
接着剤でつくられていたこともあったようだが
現在は失われてしまった。
細い尻尾が折れずに残っているのは奇跡的だ。
 猫塚の説明板  
 白猫になってしまった  少し上を見上げたポーズ  
猫の石材の材質は確認できなかった。
台座は花崗岩でできており
裏面に建立年などが刻まれていたが、
風化して一部の文字を除き
ほとんどわからなくなっていた。
新しい首輪がつけられていた。
バンダナや首輪など
いろいろと交換されているようだ。
ネコ缶も供えられている。
   新しい首輪をしてもらっている  
猫塚も歳をとりそろそろ補修しないと
崩壊してしまう恐れがある。
ねずみ塚のように猫を新調する
必要はないが
保存するためには何らかの対策が
必要な時期だと思われる。
時に裏面の文字はわかる人がいるうちに
きちんと記録しておく必要があるだろう。

前回来たときの画像はどこに行ったかな?
     現在は左耳がなくなってしまっている

 猫塚の向かいに寺を見つけた。行ってみよう。

木が茂る向こうにお堂が見える。
参道のような道を歩いて行く。
しかし鳥居はない。
金比羅神社の碑が立っている。

あとで調べたら十一面観音堂とあり
寺院の表示が出ている。

 どうもこの地が猫塚の話しの元となった
遍照院のあったところかもしれない。
 茂みの向こうにお堂が    鳥居はない
   あれが十一面観音堂か  金比羅神社の碑が
漁港の町だけに海難や航海安全の碑が多い。
海に近い土地柄、
海棲動物の穴があいた砂岩が
あちこちに使われている。
 
 さすがに海に近い    
おでん屋(居酒屋?)の入り口に  猫くんがいた 野良猫か、飼い猫か? 
少し離れたねずみ塚を見に行く。
猫塚に比べて、駐車場もあり捜しやすい。

古鼠は最初、海岸近くにうち捨てられたが、
住職(あるいは村長・村民)の夢枕に
古鼠があらわれ、
改心して「海上の安全と大漁」を約束すると
懇願したので、
ねずみ塚も建てられた。 
   ねずみ塚広場  
ねずみ塚   新しく乗ったねずみ像  昭和47年11月22日建立
   ねずみ塚に行く。ここは海岸の高台にあるので
ねずみ塚広場になって駐車場もある。
碑には「昭和47年11月22日
御前崎町教育委員会」とある。
ネット上の画像を見ると、
ねずみの像は後から加えられたようだ。
新しいねずみ塚の由来碑は
地元の中学校を卒業した同期の中学生が
還暦になった際、
御前崎の活性化と幸せを
「ねずみ」に託して建立したもの。
平成20年戊子(つちのえね)年、
ねずみ年生まれがねずみ年に建てたもの。

以前ねずみの絵が描かれたトイレが
あったように記憶している。
この場所ではなかったのか。
写真を探し出さなければ。
遊歩道を散策する。
  新しい由来碑  
 ソテツの雄花が咲いている  御前崎の海岸  
ソテツの雄花が咲いている。
雌花は昨年のみが落ちているが、
今年のものはまだ早いようだ。
どうせ枯れ落ちるものなので
雄花をひとつ資料としてもらう。
遊歩道を散策する。
風が強い。海からの風が直接吹きつける。
ツバキが咲くころにまた来たいところだ。
 風の通る道    風を受ける


 帰って調べて見るといろいろわからないことが出てくる。猫塚を建立したのは何という会だろうか。またまた調べたいことがたくさん出てきた。


御前崎の猫塚

            御前崎の猫塚アーカイブ篇

                                                           1999年8月28日
 過去の画像を捜していたら、御前崎の猫塚が出てきた。1999年の訪問だ。北海道の帰りに新潟からぐるっと回って御前崎まで行った。北海道の画像に紛れ込んでいたためなかなか思い出さなかったのだ。この時の目的は坊之谷の猫を入手するためだった。残念ながら亀次郎さんは亡くなった直後であった(これに関しては、ねこれくとアーカイブスの「坊之谷土人形の亀次郎翁」へ)。
 1990年代の終わりというとアナログからデジタルへの移行期であった。訪問したかどうか記憶にないのだが、さらにその4年前の1995年の画像がフィルムで見つかる可能性もある。
 とりあえず今回は1999年の画像。まだデジカメも38万画素でメモ程度にしか使えない時代だった。
 今の猫塚と比較してもらいたい。

    
 この表示は変わっていない  これはどこにあったのかな?
  
                     猫がかわいい
                         
                                    思っていたほど今も変わっていない
   
                   古い猫塚の解説板
                     
                                  当時67歳、もうけっこう白猫化が進んでいる
      
               首輪や首玉、バンダナは巻いていない
                      
                                   まだ左耳はしっかりついている
   
            こちら側の白猫化はまだ少しましだ
  
夕陽に立つ猫塚


 ねずみ塚はというと

   
                               御前崎灯台が左に見えている展望台
 ねずみ塚を見に行く。
御前崎灯台が写っている位置から考えると、
上の2枚の画像は
ねずみ塚広場付近の
展望台から撮影したものと思われる。
 
   眺望台の表示
  
            由来の説明板は現在と変わっていない
                             
                                            たぶん、ねずみ塚広場のトイレ
  
          手前は日時計になっていて、人の影が時刻を表す
 
これが「ねずみ塚」ねずみは乗っていない。 まわりの植物が伸びすぎてしまっている


 今から約20年前の猫塚とねずみ塚でした。









                     ひとりたびに   


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