「加州猫寺」の謎にせまる  その1

加州猫寺
 最初にお断りしておかなくてはいけないことは「加州猫寺」という名称です。これまで富山土人形の招き猫の中に裏に「加賀猫寺」と刻印の入ったものがあり、どこかの寺の授与品ではないかと紹介されてきました。今回の調査で刻印はこれまでいわれていたように「加賀猫寺」ではなく「加州猫寺」が正しいことが判明しました。したがってこれからは「加州猫寺」を使用していきます。

プロローグ
 猫寺の刻印つきの土人形はいろいろな書籍(おもちゃ通信200号や招き猫尽くしなど)で紹介されたり、招き猫展などでもよく展示されていました(書籍に掲載された猫も展示された猫も平田嘉一氏か植山利彦氏の所有と思われます)。以前から猫寺とはいったいどこの寺なのか興味は持っていました。今年(2000年)のある骨董市で2体1組で並んでいるのを見かけました。1体は裏の刻印あたりに穴があいており(刻印を押しているためひじょうに薄くなっている)、さらに両方ともかなり顔料の剥離がありました。しかもその剥離部分に墨で補修がしてありました。少し購入をためらったのですが、また出会えるかどうかわからないので思い切って購入しました。これがこの招き猫との出会いです。 まずこの猫の特徴ですが正面に金色の丸金マークの大きな首玉。首の右には大きな金の鈴。白に黒の斑のいかにも昔ながらの日本猫のいでたちで大金を招きそうな雰囲気です。現在の富山人形もそうですが顔料が剥離しやすいようで、先にも書いたように墨で描かれた斑点、目、鼻の部分ははがれ修復のため墨が塗られていました。さりげなく塗られているのが何よりの救いです。
 現物が手に入ったのですから、いよいよ身元調査です。インターネットで検索をしましたがヒットしません。だいたい加賀といっても広いわけですから、どの地域にポイントを絞ればよいかもわかりません。
 それでは次は金沢市、加賀市あたりの郷土資料館を調べてみようかというところで調査は一時中断となっていました。
 その後、4月29日に嬬恋村の招き猫ミュージアムを訪問した際、荒川・板東両氏にこのことを話したのですがやはり皆目わからないということで、何かわかったら知らせるということでその場は終わりました。

   

  左上  正面 斑点以外はヒゲ、眉毛などもほぼオリジナル
  
  
右上  背面 尾の一部を除いてオリジナルのまま

  
左下  背面「加州猫寺」の文字








   従来から知られているタイプ


猫寺への糸口
 2ヶ月ほどたった6月の下旬に荒川さんから葉書が届きました。その書面によれば、荒俣宏氏の新刊の「アラマタ珍奇館」にこの招き猫が出ているという情報とともに、書籍の中の120字ほどのその記事のコピーと招き猫の図が張り付けてありました。
 その記事には次のような記載がなされています。『おっと、招き猫研究家には見のがせない資料も出てきました。加賀金沢裏五十人町、龍昌寺から出た「招き猫」です。寛永年間に前田利常候がこの寺を再興された寺で、猫寺として世の知られたとのこと。死んだ猫をここに葬ると、法名をつけてもらえたとのこと』(アラマタ珍奇館 荒俣宏著 集英社 2000)
 これは大きなヒントです。寺の名前がわかればしめたものです。ただし、「金沢の人にきいたところ、龍昌寺は現存しない、とのことでした」という荒川さんの一言が添えてありました。
猫寺発見
 これは困った。だいたい寺のあった裏五十人町という町名も変更されてしまってありません。そこでEメールで石川県立歴史博物館に次のような問い合わせてみると、学芸主任の方からすぐに返事がきました。

送信文(原文のまま)
石川県立博物館御中
 お忙しい中突然メールを送らせていただきます。私は郷土玩具の招き猫を収集している者です。手元にある招き猫の中で以前から気になっているものの中に富山土人形で背面に「加賀猫寺」の刻印が入ったものがあります。これまで手がかりがなかったのですが最近出版になった荒俣宏著の「アラマタ珍奇館」の中に図版とともに次のような記載がありました。
 「加賀金沢五十人町、龍昌寺から出た招き猫です。寛永年間に前田利常候により再興された寺で、猫寺として世に知られたとのこと。死んだ猫をここに葬ると、法名をつけてもらえたとのこと」。龍昌寺は現存しないとの情報も得ています。そこで次の点に関して何かわかることがあればご教示願います。
 1.龍昌寺とはどのような寺だったのか。 2.加賀金沢裏五十人町とは現在のどの辺に当たるのか。 3.この授与品?の招き猫はどのような由来の招き猫だったのか。以上の点に関して何でもかまいませんので情報があればよろしくお願いいたします。またこのような件に関して詳しい方がいらっしゃればご紹介願います。できれば取材をしていきたいと考えています。勝手なお願いですがよろしくお願いいたします。
 
返信文(原文のまま)
 お問い合わせの件につき、回答させていただきます。
 1 曹洞宗。山号は五雲山。開創は永禄四年と伝える。初め加賀国小松八日市町に丹羽長重の菩提所としてあったが、元文三年、金沢裏五十人町に移転した。昭和五五年に石川県輪島市に移転して、現在に至る。
 2 裏五十人町は、現在の金沢市増泉1丁目、白菊町、中村町付近。
 3 招き猫の由来については不詳。「猫寺」の由来については龍昌寺四世大信のとき猫の死んだ夢を見て、その猫の遺骸を供養したことから、以後猫をこの寺に葬るものが多かったことによるという。
 以上、手元の文献等から簡略ながら、ご照会の趣旨にあわせて箇条書きにて回答とさせていただきます。詳細につきましては直接龍昌寺様にお問い合わせされるのがよろしいかと存じます。
                                  石川県立歴史博物館
                                  学芸主任 

 さて移転先がわかればNTTの電話番号検索で簡単に住所を探ることはできます。難なく住所判明。後は取材あるのみです。しかしなかなか日程がとれません。能登半島はやはり遠いのです。

取材の日
 そんなことをしているうちに夏が過ぎ、来る福招き猫まつりも過ぎ、11月になってしまいました。冬になれば、雪の多い北陸だけに取材もままなりません。うまく日程がとれた11月24日にいよいよアポイントなしの突撃取材です。23日に輪島に着き、一泊。朝早くては寺のお務めもあり迷惑だろうと、朝市でしばし時間を稼ぎ、いよいよ出発です。地図でだいたいの位置を確認して置いたので、それほど苦労することなく、山道入り口にある建石を発見。参道を登っていくと家が見えてきました。しかし寺らしき建物はなく、ウロウロしながらしばらく探していましたがわかりません。近くで洗濯物を干している人に尋ねると車を止めた前の家が目的の龍昌寺でした。入り口から見るとただの民家にしか見えないのですが、後で案内されて裏庭に回るとそこには寺の本堂がありました。やっと目的地にたどり着きました。

  
龍昌寺への道 「修養道場龍昌禅寺」の建石 昭和55年 もと金沢龍昌寺の門前にあった建石  元文年間



招き猫の謎は解けるのか
 最初に対応していただいたのは、ご住職の奥様でした。「以前に電話をいただいた方ですか?」意外な対応でした。招き猫好きが以前に問い合わせたことがあったようなのです。そして「こちらです」という、またまた意外な対応。後に付いていくと裏の小高い山?の上に案内されました。何とそこにあったのはまさに郷土玩具をそのまま石造りにしたような鞠抱きの猫だったのです。
 母屋に戻り、いよいよご住職と対面です。訪問した理由を詳しく説明しながら、持っていった加賀猫寺の招き猫を見せました。ご住職ご自身は招き猫にはさほど興味がないとおっしゃられていましたが、招き猫を見ながら過去の記憶を少しずつ思い出されたようでした。
 その前になぜこのような過疎の地域に金沢市内から龍昌寺が移転してきたのでしょうか。はたして寺を維持していくことができるのでしょうか。出発前から地図を見て疑問に思っていたことでした。しかしご住職の話を聞いているうちにその疑問にご自身がふれてくれました。
 現在、金沢市内では檀家だけで寺を維持していくことは不可能でどこでも別に職を持ったり、駐車場を経営したりしながら寺を維持しているとのこと。しかしそんな生き方に疑問を感じ、農作を主体にした今の生活を近所の5家族ほどと一緒に始めたとのことです。したがって、現在の龍昌寺は檀家を持たない寺となっています。

ご住職の記憶
 金沢市内にあったときは龍昌寺というより猫寺といった方が通りがよかったようです。ご住職自身、子供のころ猫寺の子といわれるのが嫌だったということです。
 ご住職の記憶によれば龍昌寺には授与品の招き猫なかったということ。ただしご本尊の両脇に稲荷の狐と大中小の招き猫がずらっと並んでいた記憶があり、顔はこの土人形とは違うような気がするということでした。またこの時点で招き猫の背中の刻印は「加賀猫寺」ではなく「加州猫寺」であることを知らされました。実は偶然手に入れた瀬戸焼きの「加州猫寺」の招き猫がご住職の言う本尊の脇にあった招き猫であることが判明しました。この招き猫はおそらく今までに公には紹介されていないのではないでしょうか。ご住職の話によれば、この瀬戸焼きの「加州猫寺」招き猫は昭和10年ころ、寺の修復を記念して製作して寄進者などに配布されたものだろうということです。したがって土人形に関しては「私も見たことはなくもっと古いものではないか」ということです。残念ながら先代のご住職は7年ほど前になくなられ、招き猫の由来書もあるとのことですが、今はどこにあるかわからないと言うことでした。

龍昌寺全景 大正拾年銘の賽銭箱(除幕式記念)


新種?瀬戸焼「加州猫寺」招き猫

    
昭和10年ころの配布品  「加州猫寺」の銘

土人形の加州猫寺の正体
 それでは土人形の加州猫寺招き猫の正体は何でしょうか。私の今回の取材による推測では大正10年に製作された畜霊供養塔除幕式の記念品ではないかと思います。その理由として、
 ・龍昌寺では授与品の招き猫はなっかったようである。
 ・昭和の改修では背中に加州猫寺の文字入り招き猫を製作して配布しているので、同様に文字の入ったは招き猫は龍昌寺の大きな祭礼等の時に製作された可能性がある
 ・昭和の改修時には檀家の数もそれほど多くなく、遊郭やその事務所などからの寄進でかなりの費用が賄われており、そのような寄進者への配布品として瀬戸焼の招き猫が製作された。同様に大正10年に動物の霊を供養するために作られた畜霊供養塔にやはり多くの郭関係の事務所が賛同者や寄進者として名を連ねている。また畜霊供養塔以外にも現在使われている賽銭箱の寄進や同意者として当時の金沢市長なども名を連ねるほど、除幕式はかなり大々的に行われ、その寄進者への配布品として製作された可能性がある。
 ・畜霊供養塔は典型的な郷土玩具の鞠持ち猫のスタイルで、その首の正面には丸金の首玉、猫の右側には大きな鈴が付いているなど「招き猫」と「鞠持ち猫」の違いはあるが猫の首ひもの形態がひじょうに似ている。(丸金の首玉は他には記憶がない)
 ・耳のピンク色に近い彩色は大正期以降の郷土玩具でよく用いられている。
 などを総合していくと、大正10年7月9日に行われた、畜霊供養塔除幕式に関連する招き猫であることが推測されます。ただし、決定的な決め手はないのでこれからその証拠探しに取りかかろうと思っています。いくつか調査の仕方を考えているので、来春までは下準備をする予定です。

  
写真ではわかりにくいが正面の首玉には丸金の文字
持っている鞠には畜霊塔の文字

 
  
龍昌寺を見下ろす加州猫
かなり風化しているところはあるが、堂々とした顔


猫の台座の文字は謎解きの鍵になるか?
  
 供養塔の下にある碑「加州猫寺」


猫寺の古里を求めて
 現在の龍昌寺を後にして、次はかつての龍昌寺探しです。ご住職の話によれば龍昌寺の跡地はパチンコ屋になり痕跡は何もないということです。まずは金沢に行き、情報源となった石川県歴史博物館からスタートです。しかし地図類はまだ整理されておらず、図書館の方がよいだろうと言うことで、歩いて3・4分の県立図書館へ向かいました。資料係に昭和30年代の地図と金沢の遊郭関係の資料の検索を頼みました。遊郭関係の資料は少ないのですが、昭和31年と34年の地図が出てきました。龍昌寺は簡単に見つかったのですが、かなり現在の現地は様変わりしまっているので、あまり変化していない寺などのポイントを頼りに現在の位置を割り出しました。
 幸いに隣の安閑寺はそのままの位置で残っていたので大きな手がかりとなりましたが、現在金沢西インターへつながるかなり広い道路は当時はなく、この40年ほどでかなり町並みが変わってしまったことがわかります。しかし当時の用水がそのままあったりと名残も多く見られます。龍昌寺の旧所在地の住所は次のようになります。
                          旧住所  金沢市裏五十人町36番地
                           新住所  金沢市増泉1−16−3
 ご住職の言われたように、市内の中心部から金沢西インターに向かっていくと右手にパチンコ「凱旋門」の大きな駐車場が見えてくるのですぐわかります。遠くからでも2ブロックほど先の大型スーパーアピタ金沢店が見えるので目標となります。
 大通りは当時とはすっかり変わってしまいましたが、一歩入れば当時あった道はだいたい残っています。先に書いた用水はもちろんのこと、龍昌寺の敷地の隣にあった人家は名残をとどめるかのように今もパチンコ屋の土地ではなく、四角いパチンコ屋の駐車場に食い込むように他の所有者の敷地として存在しています。

現在のパチンコ屋の駐車場。当時の龍昌寺の山門あたりから撮影。この駐車場の位置に昭和55年まで龍昌寺はあった。


   龍昌寺地図(少し画像容量が大きいです)  

    右  この水路は昔からある  


まだまだ続く調査
 これで今回の招き猫を尋ねての調査は終わりましたが、謎が謎を呼んでまだ調査は継続していきます。かなり古い猫と思われますので、当時のことを直接知っている方にお話を伺うことはほとんど期待できません。比較的最近まで授与されていたものなら金沢市内の元龍昌寺近辺のお年寄りに伺ってみようという計画もあったのですが、年月がたちすぎている上、現在の住民の氏名を見てもこの40年ほどでもひじょうに多くの人たちが引っ越してしまっているという現実から、もはや手遅れという状態です。
 龍昌寺のご住職が言われていた、由来書が発見されることを期待しながら、次の方策を練っています。
 京都三条橋詰めの檀王尊法林寺の主夜神尊招き猫のように招き猫好きによって発見されたことから大祭の復活や招き猫の復刻が行われるのは稀なこと。「加州猫寺招き猫」も「猫寺」もこのままでは人々の記憶からすっかり消えてしまいます(現在もそのような状態ですが)。何らかの形でそのような寺があり、独特の招き猫がかつて作られたことがあったことを後世に残しておく必要があると考え、調査を続行していきたいと思います。
 なお、龍昌寺の住所や連絡先はあえて掲載しませんが、調べればすぐわかります。
                                                   2000年12月5日


 写真を見ていて書き忘れたことに気が付きました。それは供養塔の台座に刻まれている「招猫寺本殿龍昌寺」という文字です。「招猫寺」を「招き猫の寺」と解釈すれば、龍昌寺では大正10年以前にすでに招き猫が何らかの形で認知されていたことのなります。そうなれば授与品としての招き猫もあった可能性があります。しかも丸金の首玉付きで。ますます謎は深まってしまいました。
                                                   2000年12月8日




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