全国招き猫図鑑
                      石清水八幡宮の簪

石清水八幡宮の簪(かんざし)
種類:土人形+α

 制作地:京都
 現制作者:廃絶 
 

 大阪にほど近い、桂川や木津川が合流して淀川となるあたりに京都府八幡市は位置しています。その八幡市の男山山頂には日本三大八幡宮のひとつ石清水(男山)八幡宮があり、その参道ではかつ男山八幡宮の諸玩と呼ばれるものが売られていました。その中の一つに竹でできた簪がありました。簪には多くの種類があり、その一つに土人形の小さな招き猫が付いたものがありました。
 奥村寛純(1981)には松岡、中村の2軒の制作者が記載されています。男山八幡宮の諸玩は、明治維新鳥羽伏見の戦いで夫を失った松岡オノコにより八幡宮の縁起に因んだものを作り、参道で売ったのが初めとされています。松岡家ではその後、鶴吉、勇造夫婦と受け継がれました。畑野栄三(1992)ではすでに廃絶となっています。1992年時点では男山の紙鯉の制作の記述はありますが、簪に関しては記載がありません。また現在、参道で初詣など特別なときに売られているのかも不明です。
 簪の古型には稲穂・白羽・竹柄杓(ひしゃく)・熊手・猫に小判・鉾(ほこ)などがあり、陶製の極小の鳩・招き猫・おかめ面・鉾先などがついていたといいます。昔は4〜50種類あったといわれています。竹柄杓は竹の節を利用して柄杓に見立てたり、柏あるいは樫の実のへたにおかめ面を入れたりと小さいながらも工夫が凝らされていました。これらは奥村寛純(1981)の出版時には10種類ほどが松岡勇造夫婦、中村喜三夫婦により制作されていたとされます。陶製の部分は松岡氏が持っている先代が制作した型をもとに、型抜きしたものを、清水で焼いてもらって使用しているとのことです。簪の竹串部分は生駒方面の産だそうです。しかし、すでに80年代当時は古型よりもモール細工や造花、ガラス玉などを付けた新しいタイプに売れ筋は移行していたようです。

 作者の譜系
   松岡オノコ・・・松岡鶴吉(1936没)・・・松岡勇造夫婦
   ?・・・中村トメ(1971没)・・・中村喜三夫婦・・・?
     (紙鯉を制作されている中村さんは住所が同じなので中村喜三夫婦の関係者と思われますが、詳しいことは不明です)

ワンポイント「石清水八幡宮とは」
 祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、比め大神(ひめおおかみ)。※め:口へんに羊
 石清水八幡宮は平安時代の貞観元年(859)、大和国の大安寺の行教という僧が大菩薩のお告げで宇佐宮(うさぐう)から山城国男山に八幡神を勧請したのが始まりといわれる。この年、清和天皇により宝殿が造営され、翌年貞観2(860)年4月3日、八幡三所大神が正式に鎮座した。
 伊勢神宮に次ぐ国家の宗廟(そうびょう)とされ、室町時代には足利将軍がしばしば参宮し、織田信長・徳川家康も参詣した。また源頼信が永承元年(1046)加護を立願(りゅうがん)して以来、八幡神が源氏の氏神となり、頼義・義家父子をはじめとする源氏一族の活躍とともに各地に勧請されていった。鶴岡八幡もその一つである。
 現社殿は寛永年間(1624〜44)徳川家光の造営によるもので国宝。ほかにも五輪塔、石造灯籠など、重要文化財に指定されているものも多い。
                                    ※勧請:神仏の分霊を持ってきて祭ること
 石清水八幡宮の社号は男山の山腹に涌き出ている霊泉「石清水」に因んだもので、社号は明治二年(1869)に「男山八幡宮」と改称されたが「石清水」の社号が創建以来の由緒深いものであるため、大正七年(1819)に再び「石清水八幡宮」と改称された。

     ※三大八幡宮
      1.宇佐八幡宮(大分
      2.石清水八幡宮(京都)
      3.鶴岡八幡宮(神奈川)

      
  簪全景
     招き猫部分
 横9mm×奥行9mm×高さ18mm
 串の長さ 130mm

 猫に小判とナンテンの実 
 熊手に丹頂    何と書いてあるのだろう?


追加画像
 最近入手4本です。その中で招き猫は1つで陶製です。招き猫の大きさは前出と同じで同じ型で作ったものかもしれません。周りにはかなりバリの部分があります。残念ながら彩色はかなり退色してしまっています。いずれの猫や鳩もスプリング状になった針金の先に取り付けられてあり、それらは串の上に絹糸で巻き付けられています。

  
矢羽根に招き猫   左 稲穂にナンテンと鳩
  中 矢羽根に樫の殻斗に入ったおかめ面
  右 矢羽根に鳩



=^・^=石清水(男山)八幡宮を行く
 2004年4月石清水八幡宮へ行ってきました。今回は2回目の訪問です。京都の骨董市へ行ったあと、奈良の古本屋へ、その後だったので現地に着いたのは日が少し西に傾いた時間帯となってしまいました。八幡駅近くの市営駐車場に車を止め、男山ケーブルカーで一気に山頂まで行きます。低い山なので徒歩でもそれほど時間はかかりません。また、山頂まで車で行くこともできますが、やはり片道は自分の足で歩きたいので車は置いていくことにしました。平日ということもあって、ケーブルカーのお客さんもそれほど多くありません。ところでこのケーブルカーの掴み棒(スタンションポールというらしい)は特殊な形状をしています。これは後ほど山頂にある記念碑と関係があります。
 一番先頭の座席に陣取りましたが、わずか2分ほどで山頂駅に到着です。ちょうど桜の時期だけに山頂駅前の桜も見事に咲いています。きっと明日や明後日は花見客でにぎわうことでしょう。
 ケーブルカーの経営会社が今の会社に移る前は駅の売店でも男山の諸玩を扱っていたと聞きます。

 山頂駅から本殿までは少し歩きますが、散策にはちょうどよい距離です。以前来たときよりも桜の季節だけに人影は多いのですが、それでもこの静けさは正月などに周囲の道路が交通渋滞になり、何万人という参拝者が訪れるというのは想像ができません。
 本殿へ向かいますが、途中の参道にはジャンボ神矢が立っています。これは毎年年末から節分にかけて登場するようです。この神矢は鎌倉時代の元寇の際に、この神社から放たれた白羽の矢が神風を起こして敵を滅ぼしたという伝承によるものだそうです。
 相変わらず参拝客はまばらですが、さすが三大八幡宮といわれるだけあって、本殿は豪華です。時間が時間だけに南総門の外では宮司や神官がすべて集まり、夕方のお務めらしきことをやっています。

 さて参拝を終えて山頂公園に戻ると、前回来たときは急いでいたので見逃していたのですが、記念碑があります。この石清水八幡宮はエジソンの白熱電球のフィラメントとして多くの実験の結果、選ばれ利用された竹の産地なのです。しかも電球の発明に利用されただけでなく、しばらくの間電球の量産品の材料としても利用されていたということです。
 かなり大きな記念碑の中央にはエジソンのリレーフがはめ込んであり、右側には「To The memory of Thomas Alva Edison 1947-1931」、左側には「Genius is one percent inspiration and ninety nine percent perspiration 英知は1%のインスピレーションと99%の努力」とあります。
 1879年の発明から50年たった1929年に伝統発明50年の記念事業に日本も加わり、その際にこの地に記念碑が建てられたということです。当時建てられたものは場所も違いますが、1958年にエジソン顕彰会の手で現在の場所に移され、1984年10月に現在の姿に再建されたとのことです。
 毎年2月11日のエジソンの誕生日と10月18日の命日には、碑前に花を捧げ、日米両国の国旗を掲げて碑前祭をおこなっているそうです。

 桜の写真を撮って、帰りは表参道を下って行きます。途中には茶屋1軒ありますが、その近くにはかつての茶屋の痕跡も残っています。また寺の跡や石清水の名前の由来となっている清水など見るところは多いのですが、そろそろ杜の中は暗くなり始めているので下山を急ぐことにしました。
 次に来るときは、1日かけてゆっくり見て回ることにしよう。とにかく古い神社なのであらかじめ調べていくと「・・・跡」などという場所がたくさんあります。下調べをしていくとおもしろさが格段に増します。

おまけ
 ここまで来たら、「流れ橋」に寄っていきましょう。「流れ橋」とは通称で正式には木津川にかかる「上津屋橋」といいます。全長356.5mで現存する最長級の木橋です。昭和26年に永久橋ほど予算がかからず、増水時に流されない橋ということでかけられました。沈下橋の一種といえるかもしれません。欄干もなく増水して水に浸かると橋板が浮かび、八つに分割してワイヤーで繋がれた橋板が流れることにより倒壊を回避する仕組みになっています。水が引けばワイヤーを引っ張り橋板をたぐり寄せれば元にもどすことができます。一度流れたところを見たいのですが、最近は流れていないようです。情報が入ったら、日帰りで行ってみることにしよう。
 コンクリートの護岸や電柱がないので時代劇のロケによく利用されていることでも有名です。

 今回は時間が遅く、行ったらすでに暗くなっていました。残念!。前回行ったときに今はないコダパック版のカメラで撮影した写真があるのですが、見つからないので今回は掲載できませんでした。

男山

山頂駅まで300m  掴み棒に注目  掴み棒はこれに因む


 石清水八幡宮

 南総門  本殿  校倉
大きな矢羽  表参道(茶屋の近くで)


参考文献
京洛おもちゃ考(奥村寛純、1981 創拓社)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992
 婦女界出版社)
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)