ねこれくと調査隊

 鴻巣の招き猫たち


鴻巣第3の招き猫   広田屋の練人形
 鴻巣の練り物の招き猫といえば、赤もので有名な秋元商店(ネコは赤くありませんが)と臼井常吉商店のものが有名です。しかし、鴻巣にはそれ以外にもちょっと気になる第3の招き猫がいるのです。 そもそもこの猫との出会いは、まだどこでどんな作者が招き猫を作っているか知らないころ(たぶん7年くらい前)、「招き猫の文化誌」(宮崎良子著)から鴻巣で招き猫が作られているらしいことを知ったことが始まりでした。その中には『埼玉県の鴻巣市には練物製の招き猫がある。種類は白黒の斑である。なんとも間の抜けた顔をしているという評があった』という記述がありました。それだけを頼りに鴻巣に出かけ、「人形」なる町名で、たくさんの人形店が連なる街並みを見つけました。その中の一軒で問題の招き猫を発見しました。その飄々とした表情はユーモラスでいて、どこか憎めない愛嬌のあるものでした。そしてそのつくりも、他ではあまり見かけないものでした。「これだ!」今から思えばずいぶん安い値段で、最後に残っていた2匹を手に入れました。それだけでも安かったのに、店の商品の座布団代わりのフェルトまでおまけでいただいてしまいました。
 その後もっと大きい物はないかと同店を訊ねたことがありましたが猫は売れないから、もう製作はしていないということでした。しかし、型はあるのでイベントなどで数がまとまれば製作することがあるかもしれないのでまたのぞいてみてくださいとのことでした。
 そして何年か過ぎ、店の方に印象づけるため、『現物の猫』を持って再び訪ねていくと、対応してくださったのは鯉のぼりのような派手なネクタイをされた方でした。 「これは私が作ったものです」ということから話がとんとんと進み、なんと製作していただけることとなりました。その対応してくださった方こそ、招き猫師、広田屋鰍フ取締役社長、斉藤藤次郎さんです。
 お話をうかがうと、斉藤さんが製作している招き猫は高さ6.5cmの左手上げの小型のもの1種類だけということです。しかし、小さくても全体は胡粉と膠に染料を混ぜてしっとりした色合いを出し、斑やヒゲの黒はススを集めて膠と混ぜ絵の具を作るところからやり、つめや首輪の赤はベンガラを使った絵の具といった凝りようです。「市販の塗料を使うと簡単できれいだが落ちついた色調が出ない」ということです。まさに根っからの職人気質がうかがえる言葉でした。
 最近では、平成7年の正月に向け、蔵前の神社で参拝者の授与品につけるためにかなりの数の注文があり製作をしたことがあったとのことで今回はそれ以来の製作だということです。
 かつて鴻巣の練り物は玩具としての需要も多くあり、製作が追いつかないほどで、昭和20年代ころは30cm位の大型の招き猫も製作していたということです。しかし近代的なおもちゃの急速な普及とともにその玩具としての需要が極端に減少してしまい、大型の猫の型も今ではもうないそうです。残念!。
 また、昭和30年代の初期まではキャラメルなどのお菓子といっしょに結びつけて売る菓子玩具としての需要もあったということです。招き猫以外にも獅子頭の中にお菓子を入れて鉄道の駅の売店で売るなどということもあったようです(今もある、おもちゃ入りのお菓子と同様のもののようです)。 そのような中で獅子頭や天神はまだわずかであるが需要があるので、少数製作しているが、玩具としての小型の招き猫はまったく需要がなくなり、今はほとんど作る機会さえなくなってしまったということです。 そしてもっぱら製作の中心は節供(句)人形などの人形つくりに移っていったということです。職人として作りたくても需要がない。でもそれだけではやっていけないという複雑な心境を語っていただけました。後継者に関しても店の経営や人形作りは続けていっても、「練り物については私で終わりでしょう」ということですし、現在需要がある獅子頭も「10年後はどうでしょうか」という、ちょっとさびしいお答えでした。
 しかし、人形のかしらなどを作るため、会津方面から桐粉は入ってくるので、材料には事欠かないということです。ぜひいつまでも絶やさずに作り続けてほしいものです。
 なお、これほど個性的でかつては全国に多数卸されていた広田屋の招き猫ですが、郷土玩具資料館や収集家の展示などでもほとんど見かけることはありません。斉藤さんご本人が見かけたのは鬼怒川温泉の近くにある郷土玩具博物館(これは40年くらい前に製作したものということです)と太宰府天満宮の裏にある資料館(?)だけだということです。やはり玩具や授与品などの運命である消耗品という性格だからでしょうか。 どこかで広田屋の猫(特に大型の猫)を見かけた会員の方はぜひレポートをお願いいたします。
 いろいろお話をうかがった後、店で見つけた招き猫と同じつくりの練り物のトラ2匹と注文した50匹の猫たちが入った箱を手に、いつまでもこんな素朴なつくりの招き猫が作られ続けてほしいと願いながら店を出ました。

入手方法
 招き猫は前記のように絵の具作りからしなければならないため、大きな注文が入ったときにまとめて100〜150匹ほど作り、残ったものを店頭で売るそうです。
 今回の私の注文で製作した猫の残りも、私が引き取りにいったときは20匹ほどの招き猫が新しい飼い主を待っているのみでした。これがなくなると、あとはいつになるかわからない次の製作を待つことになります。

連絡先
  広田屋梶@〒365 埼玉県鴻巣市人形1ー6ー18
            0485ー41ー0451(代)

 ※上記の文章は1997年に日本招き猫倶楽部の会報「福の素」に投稿(福の素No.15に掲載)した文章の原文です。現在(2000年11月)は在庫はないものと思われます。鬼怒川の郷土玩具博物館にも行ってみましたが展示物入れ替えのためかは見あたりませんでした。

 No.1  鴻巣練人形  (広田屋 斉藤藤次郎作)

プロフィール
 @大きさは35mm(横)×37mm(奥行)×65mm(高さ)
 A練人形
 B首ひも、口、爪はベンガラの赤
 C耳はローズ色、鼻先ははだ色
 D尾はあるが彩色されていない
 


鴻巣第4の招き猫   たちやの練人形

 秋も深まった98年11月にしばらくぶりに鴻巣の町中を歩いてみると、ある店のショーウィンドウに招き猫がいくつか展示してありました。その中のいちばん大きいものは『秋元人形店』でも『臼井常吉商店』でも見なかけ大型のものでした。「これは!」と思い、早速店に入り在庫を確認するとあるということですぐに入手しました。
 さて、その店とは天保5年創業の『たちや(太刀屋)』です。以前「いまの焼き」の吉田さんに価格が安いとうかがって、店の名前はうかつにも忘れてしまっていたのが、この『たちや』ではないかと思います。
 『たちや』の大塚文武さんのお話では最近になって雛人形では日に焼けてしまうのでかわりに赤ものと一緒に置いたということです。かたちは前記の2店のものとひじょうによく似ています。これは同じ職人が型を作っているためのようです。サイズは小々(6.5cm)・小(9.4cm)・中(13.2cm)・大(17cm)・大々(23cm)の5種類を作っています。そのなかでも注目は大々(だいだい)です。これは現在入手できる練り物の招き猫では全国でも最大ではないかと思います。大々の猫の色は白のみです。特徴としてはこの型のみ型抜きをしてから手を付けるので完全に顔と手が離れていることです。型抜きは弟さんがされているということです。彩色などは秋元人形店のものと似ています。
 人形作りの手の空いた時に赤ものと共に作られているということですので、常時在庫はないかもしれません。でもぜひこの大型練り物の招き猫をいつまでも作り続けていただくためにも、皆さんに知っていただきたいと思い紹介しました。

    たちや   埼玉県鴻巣市人形3ー1ー51
          0485ー41ー0568

  ※なお、パンフレットによれば、福島の会津天神は『たちや』の祖の大塚安兵衛の作といわれているそうです。
  ※1月に再び購入しにいくと、ショーウィンドは雛人形にかわっていました。五月の節句が過ぎるとまた元に戻るかもしれません。

 ※上記の文章は1999年に日本招き猫倶楽部の会報「福の素」に投稿(福の素No.25に掲載)した文章の原文です。

 No.2  鴻巣練人形  (たちや屋)

プロフィールと詳細写真は改めて掲載します

 大きい順に「大々」、「大」、「中」、「小」、「小々」